現函館市、旧恵山町の恵山の南麓の集落の名前は今は恵山町、御崎町となっています。
しかしここは以前は、下の旧図にみられるように根田内(ねだない)、磯谷(いそや)という名の集落でした。(図1、図2 A、B)
つまり、津軽海峡を隔てて対峙する下北半島の大間町市街南西部の根田内、佐井村の南の磯谷と対を成しています(図3.参照)。
ここへは、札幌の自宅を早朝に出た後、長万部から渡島半島の東岸、噴火湾沿いを走り抜け4時間半でつきました。やれやれ。対岸には青森県の下北半島が見渡せます。
図1.国土地理院2.5万分の1地形図 恵山(平成16) より
図2.地理調査所5万分の1地形図 恵山」(昭和21年) より
図3.山田秀三『アイヌ語地名研究』より
磯谷の地名の由来については、日高の庶野(しょや)、宗谷(そうや、岬)、と同様のアイヌ語「ショヤ(so-ya)」=磯岩の多い岸という意味です。
さて、御崎町(B)の海岸を見てみますと、テトラポットで護岸がなされていますが、岩浜(磯浜)であることが解ります。よって旧地名の磯谷はアイヌ語地名に合致することがわかりました。
旧恵山町御崎町道道635号線末端(Cのやや先)。ここから先は通行不可。
旧磯谷(B、現御崎町)の街並み
御崎町の海岸(B)。テトラポットで護岸されているが、磯岩が顔を出している。
道道が切れた先は岩浜となっているので”ショヤ=磯谷”に合致する。