青森県東津軽郡今別町に奥平部(おくたいらへ)という集落があります。2019年に青森県津軽・下北を自転車で訪ねたおりに、そこ見てきました。

 

この地名、周囲にアイヌ語地名が多いことから、アイヌ語地名と考えられますが、その意味は解りませんでした。

 

図1.国土地理院2.5万分の1地形図「袰月」(平成12年)より なるほど、集落は奥平部川の川尻にある。

 

砂ケ森・奥平部間を走る。奥に見えるのは下北半島

 

奥平部川の奥平部橋

 

奥平部の街並み

 

奥平部集会所

 

津軽半島北岸には、江戸時代初期まで実際にアイヌの人たちが住んでいました。下は、山田秀三『アイヌ語地名の研究(1)』からの転載ですが、袰月、砂ケ森、奥平部に住んでいたアイヌ人の名が記載されています。つまりこれらの集落はアイヌと和人との混住集落であったということでしょう。

山田秀三『アイヌ語地名の研究(1)』より

 

そこで、北海道に似た地名はないか?と探してみました。

 

その結果、JR洞爺駅の東、今の洞爺湖町入江あたりが「オコタラベ」と呼ばれていたことがわかりました。また「オコタラヘ」、オウコタタラヘ」、「オコタヌンペ」などとも記されています。
その意味は「川尻にコタンのあるところ」という意味の地名。支笏湖北の「オコタンペ湖」も同じでしょう。

洞爺湖町の「オコタラベ」のコタンは、現在のトコタン川の河口近くにあったようですが、江戸期の有珠山の噴火により被害を受け、「アプタ」のコタンに吸収されてしまったようです。

 

現在のトコタン川が、オコタヌンペ川であったと考えられている。


佐々木利和「強制コタンの変遷と構造について:特にアブタ・コタンを中心に」、法政大学史学会、1978年3月

 

現在の虻田(地理院地図より)

 

明治24年発行の永田方正『北海道蝦夷語地名解』にも掲載されているので、明治期までその地名は残されていたと思われる。

永田方正『北海道蝦夷語地名解』、復刻版、草風館、1984年

 

先日、洞爺湖町のの現地に行ってきました、トコタン川は本当に小さな流れにすぎませんでした。
残念ながら「オウコタンペ」という表示は見つかりませんでしたが、「ト・コタン」:古い集落という意味の川は実在していました。

 

以下、洞爺湖町(虻田)の床丹川の様子

「床丹川」と微かに読める

 

この床丹川が「オコタヌンペ川」だった。水はほとんど流れていない。

 

国道を渡った南側

 

床丹川の河口部、奥に礼文華海岸

 

よって青森の奥平部が、「川尻にコタンのあるところ」という意味のオコタラベであれば、アイヌ語地名として無理なく解釈ができると思います。