雨乞信仰と雑芸民の講座です。

 

 

 

昨日、泉佐野の歴史館いずみさので『雨乞信仰と雑芸民」の講座を

 

受講しました。人のおまけでついて行って聞きましたが、

 

講師(細田学芸員)が何とも博学で、読まれた資料が多岐に渡り、圧倒されました。

 

(この3月でよそに行かれるそうですが、優秀な人間はいつもいなくなりますね。)

 

 

雨乞は古代から行われていた儀式だとは、思っていましたが

その歴史が文献学からわかってくるとは、びっくりでした。

 

中身は大変難しいのですが、理解できた範囲では

 

*古代の雨乞は自然神・氏神で

中央や荘園領主では貴族の雨乞、祟りを鎮めて雨を降らせる。

 

地方では土地の神に祈る。

民衆の雨乞は最後の手段として家畜を殺して、いけにえを捧げて自然神に祈る。

 

地方豪族は京に居て地方に戻って呪詛するので、

地域の神がおろそかになり、

地神が駆り出されていくようになる。

 

いけにえは野蛮な風習として禁じられていく(唐に野蛮な国と思われたくない!)

 

*中世は

平安京からの継続:陰陽師・真言宗(醍醐寺)の雨乞と禅宗系の混ざったもの

 

請雨経・孔雀明王経(役行者と熊野)・仁王経・最勝王経(仏教・修験道)・五龍祭

天曽地府祭(陰陽道)ありとあらゆるものに効く天と地の間、すべての神が合い良くなる!

大祓・中臣祓(神道)

                       いろいろありますし、合体したりしてます。

                       

 

民間の雨乞=上記以外に殺牛馬(鹿・豚なども)最後の手段?どうしても雨が降らない時

 

 

 

ここからが本筋の講義でしたが、沢山あり過ぎて書けません。

 

その起源は古代中国、朝鮮、新羅などから

渡来民と共に日本に来て、彼らが各地に土着して大和王権が出来、

各地の土着の民、渡来系民の神、土地神が時代を経るにつれ、

多くの流派で混ざり合ってきました。

 

 

古代中世の日本や中国、韓半島の文献を読み解いていけば、

謎だったことが解明されていくのでしょう。

 

 

 

1000年後、民俗学でキリスト教が盛んでは無いのに

日本のクリスマスは何故盛んであったのかとか、

 

子どものお祭りハローウインが日本では何故あんなことになったのか

とか、由来などが文献から掘り起こされるかもしれません(;'∀')。