久保田利伸  Missing⊿ 松田聖子はさみだれに | AZAMiのブログ

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久保田利伸の歌は雨音をよく聴いていて、その柔軟で伸びやかなともすれば大空があり、仰ぎ見ると大きな野鳥が鳴き声を発し、その声は遜色のない自然の一部となり消えゆくように、曲があり、そこに付けた詞が曲調そのものとなって鳴りつづく。
そんなところが好きでたまに聴いていた。

正月を迎えるころ、空いた時間に動画で音楽を聴くのになにかをさがした。
そこに久保田利伸のMissingで泣く松田聖子のタイトルが目につく。
松田聖子が涙するとは何事ぞとゆうおもいでその動画をONする。

ゆっくりとしたメロディのもと、久保田はゆったりと身体を動かしながら呼吸とともにリズムをものにしていく。
ことばにできるなら、と歌いはじめる。
一つ一つのことばを大切に歌う。
その伸びやかに歌う箇所がさらに
曲を魅力的な音にする。
他言語バージョンにはない印象はやはり、この日本語の音とメロディ音が共鳴するから。

一番が終わり噛み締める。
やってやるぞとゆう思いが強烈に伝わる瞬間。
若干26であっても20代前半から田原俊彦に楽曲提供するような音楽作家としての底堅さからくる自信からか。

この空間を支配、一体化して音楽による世界を造りだしている。
こんな圧倒的なものをコンサートでなく、画面から強烈に感じられるなんて。
いままで見たことがない。
凄すぎて何度でも観ていられる。
魅了とはこのことか。

松田聖子も過去を邂逅しての涙でもあるだろうが、久保田利伸がそこに造りだす圧倒的な世界観に引き込まれて閉ざされていたものが吹き出てきたようにも取れる。
これを描いていても胸騒ぎがする。
音楽とゆうものへの感動と一言では現せない、芸術的なものへの共振のようなものだ。
この原曲はもっと静かに早いメロディで表現されている。
そこを夜ヒットのマンスリーでもあることで、製作サイドが遅いリズムでより情感が伝わるようなと要望を出して、久保田がそれに応える形でこの表現になったんじゃあと空想を膨らませる。
原曲があるのにこれ程、曲調とスピードは久保田だけなら普通変えないように思えるから。

最後にはポケットから手を抜いて拳を大きく開き気持ちを叩きつけ、握るこぶしが気持ちをめえ一杯伝える。
なにより原曲以上に気持ちがおもいっきり強く入っている。
なにかあったのだろうかと思えるほどに。
すごい、スゲェ、凄すぎた。
完成された逸品とはこのことか!