パワハラと仕組み⊿ | AZAMiのブログ

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師走が近づき、メディアは今年の流行等をしきりに広めだした。
今年はパワハラをとことん追い詰める注目に値する年だったらしい。

日本は師弟関係で指導していくことよりも、パートナーのような関係性の社会を作ろうとしている。

アメリカでのパワハラは、指導者が学ぶ者に強く指導して学ぶ者が何らかのダメージを表明しても、指導者の指導方に一理あればそれはパワハラと認定されない。
日本のように一方的に強者である立場の者が否定されることはない。アメリカはそうすることにより統率がとれているとも言える。

それは一昔前の日本社会に似ている。
その時代は窓際族がいた。いたが、社会の中での自然な結果として受け止められていたように思う。

その時代も極端な部分で弱者の自殺もあった。今、そのような事が許されない時代になっている。
その部分をなくす方法として、パワハラ撲滅が現れた。

法に触れなくても行き過ぎはいけない。
一方で行き過ぎなければパワハラとはいえない解釈を企業が明記してはどうだろう。
そうしなければ、会社の秩序や関係先との関係性の理解を深めてもらうのに杓子定規な物言いだけでは本当の理解を得られない場合、その時は強く認識させる方法を残しておいていいんじゃないかな。

それをパワハラとは言わない。

何もかも混同しては社会は成り立たない。
周りを見て人間関係にしてもそのような単調な関係では成り立っていない。
なのに何故、そんなシンプルだけど、違和感を感じる関係性がばっこし出したのか。

ある事柄が成功して、その仕組みを違う事柄に横展開してうまくいく場合はあるだろうが、近年のシンプルな仕組みを社会の人間関係にあてはめたのはミスだ。
ミスは素直に認め、改善し形を変えていってほしいな。