メール。
やたら片付いており、非常に嬉しくなりました(笑)
なにせ…
冬の大掃除→受験を言い訳にして中止
春の大掃除→地震を言い訳にして中止
…ほぼ2年ぶりの本気な掃除でしたからネ
話が一気に変わりますが、中学→高校→大学と進んできた中で、いろんな友達とメールをする機会がありました。
そんな中で僕のメールの仕方に特徴があるようで、友達からいろんな意見をもらうコトがあります。
まず多いのは、「長文すぎて何が言いたいのか分かんない」というもの。
普段からこのぶろぐ1個分くらいのメールを書いている僕は、短文にまとめる能力が乏しいので、確かにこれはよく言われてしまうコトです。
次に多いのが、「話し言葉で書いている」「絵文字が多い」
…これはホントに個人個人で違うと思うんですが、絵文字の多いのを気にいる人と不自然に思う人とがいるみたいですネ。
書き方も「~ですか?」より「~だよね?」の方が、普段から後者で話してる同級生はよそよそしくないから良いかなと思ってましたが、それも抵抗のある人がいるみたいで…
あとは、「返信が遅い(→長文を書いてるから)」「夜にメールのやり取りを終えるコトを意味する、いわゆる「おやすみメール」の時間が早い」なんてコトも言われます。
夜はメールを切り出す時間にも迷います。
メールしようと思い立った時、ふと時計を見てみると①21時 ②22時 ③23時 のどれなら「やっぱ明日にしようかな」と思いますか?
22時あたりは正直非常に悩むトコです。しかし実際には夜中1時あたりになってからメールしてくる友達もいたりして、あまりそういうコトは考えないのかなぁとも思うようになりました(笑)
激務。
冬はよく聞きますが、夏も僕の指にはパネルが反応してくれないので…iPhoneなんかにしたらイライラしてしょうがないだろうなぁと思ってます(笑)
…塾講師初めましてまだ数日ですが、夏期講習追い込み中な今、早速激務状態に入ってます
昨日なんて9:00~21:30まで、昼休みを挟んで教えっぱなしでした
先輩の話聞いてると、どうもウチの職場はこれが常態化してるそうで…
入って数日の僕は1日中やるのは昨日だけでしたが、エラく疲れました
理系講師は少ないという話も聞きますし、大学1年生が高3を教えるコトもあり得るそうで…年齢隠してやってけるかどうかが不安です
ただまぁ、生徒の受講後のアンケートでは僕の授業は高評価をしてもらえたらしく、それは単純に嬉しかったです(笑)
次の勤務は月曜日。午後からスタートです。
震災の影響でなのか、2学期スタートが早いので、夏休み明けテストのある学校の子はもう準備を整えてます。
…にしても、夏休みの宿題を既に全部終えてる生徒が多いコトにびっくり
僕なんかだと、だいたい何か1教科くらいは始業式前日までかかってたのに(以下略)
成績・宿題等、他人の学校生活をしっかり見るコトなんてなかったから、非常に新鮮な感覚です
スタート。
混雑してるときは流れが止まってしまうので申し訳ない…
さて、また1週間近くお休みしてしまいましたが、この間、塾講師のバイトがスタートしてました。(←過去形)
研修を終え、初授業…
見ていた先輩講師から、声が大きいと言われてしまいました(>_<)
今まで学校の友達や先生からも、よく通る声だと言われるコトが多く、笑い声がデカいと言われるコトも多く…
そして生徒との距離が近すぎるとも。
心理的というより物理的な体の位置のコトですネ…
生徒を見てあげるのも大事だけど、視線をわざとそらしてあげるコトも重要なんだとか。
確かにずっと見られてたらやりにくいですもんネ
ド緊張してたので、視野もかなり狭かったですし…
自分自身の備忘録として、あえて先輩講師から言われたデメリットのみ書き記してみましたm(_ _)m
受動的な生徒という立場から、指導する側になったわけで、色々と問題点はたくさんあります。
また、指導者になるコトは社会に出ればもっと機会はあるワケで…
次回また明日授業がありますが、気をつけてやろうと思います。
人間の本性。
いろいろやらなきゃいけないコトはあるのに、なんとなくパソコンをつけて、なんとなくぶろぐ画面を開いてしまっているえぞおこじょです。
・・・仕事しろ、自分Σ\( ̄ー ̄;)
twitterに移行するかどうしようかと迷っていると以前書きましたが、その流れでSNSとはなんぞや、みたいな哲学的なコトを考えるようになってきています(←暑さのせいでおかしな方向に行ってますネ(汗))
その中で考えたコトは、ぶろぐとtwitterを分けて考える必要があるな、というコト。
あくまでtwitterはつぶやきであって、人と話をするためのSNSというワケではないはずです。というか、公開されているという時点でSNSの役割を果たしていない気がします。
友達の中には、もはやメールのようにtwitterを扱う人もいますが、これは大丈夫だろうかと不安に思ったりもします。
だって、つぶやきと言っても、結局は全世界に配信されているワケですから、テレビでぽろっとしゃべるのと、街中の道端でボソッとつぶやくのとをいっしょくたにして「ツイート」という言葉でくくってしまうのは、あまりに危険な気がするんです。
それに比べると、ぶろぐというのはまだそうした「テレビ的な」一面が残っているわけで、多少なりとも推敲して書くコトが多いと思います(←実際きちんとしているかどうかは別としてヽ(;´ω`)ノ)。
だから、別に「韓流がどうだ」とかいうツイートに対して過剰反応するのはどうなんだろうかという疑問もわいてきます。
本来の、「道端でボソッとつぶやく」のがツイートだと定義するならば、これにマスコミを含む日本人が寄ってたかってあーだこーだと意見を言うのはおかしいというコトになります。所詮単なるつぶやきですから。
だけど、ぶろぐ記事のように、「テレビでぽろっと失言する」のがツイートなんだとすると、このツイートが良いのかどうかは別として、発言する方もある程度身構えるというか、しっかり原稿を用意する必要があるのだと思います。
政治家さんの国会中継や答弁を見てると、質問者も回答者も、どちらも原稿を読みながら、あるいは資料を読みながら、忠実に発言をしているなぁという印象を持つコトがあります。たまに手元に紙がないなぁと思うと、その時には失言をしている時だったりもします。
「思想・良心の自由」とか「言論の自由」とか、憲法には自由という言葉がたくさんあるワケですが、どこまでが理解されるものなのか、非常に疑問に思うコトがあります。
「韓流ドラマはやめろ」という言葉が言論の自由にあたるのだろうか、「死ね」もアリなのか…
1つ確実なのは、頭の中で考えているコトについては絶対的に自由が保障されているというコトです。
言葉にしたりアクションにしたりしない限り、「また東北で地震が起きろ」とか「あいつ殺したい」とか頭の中で思うコトは、残念ながらそれを統制するコトはできません。
だからこそ、アクションにしないようにする自律神経というか、理性を持つ必要があるワケなんですネ。
数日前に「セシウムさん」なんていうテロップを出したという事件がありましたが、確かにテロップを放映したコト自体は悪いコトですし、絶対に許されないコトだとは思いますが、「そんなコトを考えること自体が人間としておかしい」なんていう批判の仕方は、うーん・・・と考えてしまいます。
だって、果たして本当にそうしたテロップの事件がなくても、東北のお米を日本国民全員が自信を持って食べるかどうかは疑問ですし。。。
震災直後にあれだけお米やらミネラルウォーターやらガソリンやら電池やらが消えてなくなったコトからすると、人間の本性は見えてしまってる気が・・・
たぶんインターネットが普及しだした頃からのコトだとは思うんですが、どうも人間のオモテとウラがはっきりしてきてしまっているなぁと思う時があります。社会との「表面上の付き合い」が上手になってきてしまっている反面、ウラの思想が過激化しているような気がしてならないのです。
人間って結局は自分のコトしか考えないんだろうなぁ、なんて思ったりもしました。
…話がなんかとんでもない方向に行ってしまってますが・・・「みんながtwitterしてるから僕も悩む」という僕自身もそうした"現代っ子"なのかもしれないです。
はなび。
…おばあちゃんスンマセンでした
夏休みに入ってから、夏休みらしいコトは1回だけできました。
友達と花火
どーん
ドーン
バーン
花火って写メで撮るのが難しくて、上2枚は連写機能を使いました。
一番下のは普通に撮ったんですが、上が切れてしもた…
三浦海岸の納涼まつりでの花火大会だったんですが、海の花火大会ってメチャオススメです
まず、海上で打ち上げるから、明るいうちに行くと打ち上げポイントが一発で分かります(笑)
↓↓↓
中央に見えてるでっかいクレーンが打ち上げポイントです
んで、海岸だと見られる場所が多いので、場所取りがしやすいのもメリットです
来年もまた三浦海岸の花火は行きたいなぁ…
今夏花火が見られるのはバイトとの都合がつかず、たぶんこの1回のみになりそうです(>_<)