【闘病記】余命宣告の夜。 | 吾唯足知~56歳、母の膵臓ガン闘病記~

吾唯足知~56歳、母の膵臓ガン闘病記~

56歳で膵臓ガン発覚。
そのとき、余命告知『あと2~3日』。

それから3ヶ月、最期までカッコよく、凛とした姿を見せ続けてくれた母の闘病記録です。




2012年10月31日(水)
(前記事からの続き)



電話を切って父を待つ間、娘にごはんを食べさせながら、お風呂に入れながら、涙が止まらなかった。




今すぐ母に会いたい。
母の顔が見たい。声が聞きたい。
そればっかり思った。




旦那さんがいつ帰ってきて、父がいつうちに着いたのかはよく覚えていない。



娘が寝て、大人3人になって、しばらくは、誰も、なにも話せなかった。




しばらくして、父が話し出した。



父『兄ちゃんとSちゃん(姉)にはさっき電話した。兄ちゃんは明日の朝一の飛行機でこっちに来るって。Sちゃんも、朝、こどもたちを送り出してから、こっちに来るって。』


私『うん。』


父『…せめて、2人が来るまでは…な。』


私『うん。』


父『あ。それから、なんかあったときの連絡は、まず俺の携帯、次がうちの家電、その次はおまえの携帯にしたけ。』


私『うん、わかった。』



それから父は、何度も、病院をでる前の母の話をした。
にやっと笑いながら、がんばってご飯を食べていた母の話を。
あの姿を一生忘れない、と何度も何度も言っていた。




日付が変わる頃、父がそろそろ帰る、と言った。

うちに泊まっていけば、とも思ったけど、こんな夜だからこそ、一人になりたいのかもしれない、と思った。



すると急に、それまでずっとただ黙って話を聞いていた旦那さんが、口を開いた。


旦那さん『あの、自分は、明日の仕事終わりとか、病院に行かないほうがいいでしょうか?』


私も、たぶん父も、ちょっとびっくりした。
だって、旦那さん泣いてたから。


旦那さん『平日にわざわざ自分が行くと、お母さん変に思いますよね。…土曜日まで、待ったほうがいいですよね…。』



父『うん、そうやのう。Tくん(旦那さん)にはつらい思いをさせるかもしれんけど…もう会えんかもしれんけど、そうしよう。ごめんの、Tくん。』


旦那さんは泣きながら頷いていた。


あぁ、旦那さんも、お母さんのことを本当のお母さんみたいに想ってくれてたんだなぁって、わかった。




いっぱい、いっぱいお世話になったもんね。

三人で、色んなとこ行ったもんね。
東京タワー、起業祭、祖父のお墓参り…。

三人で、色んな話したもんね。
川崎で、戸畑で。川の字で寝ながら。




父が帰ってから、旦那さんと2人で、いっぱい泣いた。




それから、私は決めた。


もう泣かない。

そのときがくるまで、泣かない。




そして眠れない日々が始まった。