一度書きの殴り書きなので、文章の下手さは容赦してください。


日記を書こうと思う。


けれど、「どこどこに行って楽しかった」「友達と遊んで楽しかった」とかは書けない。

最近、友達と遊んでないからだ。

そういう現実がない。

現実にあるのは、自分にはなにもないような感覚だけ。

そう思うことだけが唯一の、現実感みたいなものになってる。最後に会ったのは、2月28日。話も弾んだし、「また遊ぼう」と言われた。でも、曖昧に答えた。


友達と遊ぶことが怖いのだ。「友達と遊ぶ」と考えると、まず自分の持っている友達を思い浮かべるはず。でも、私にはいない。そのかなしい現実に突き出される。

厳密にはいる。いるはいるけど、「友達」と呼んだら、相手に申し訳ないと思ってしまう。たくさん、そして仲良い友達がいるだろう相手の、「友達」の意味を、その平均値と偏差値を下げてしまうような思いがしてしまう。


相手はたくさん話を振ってくれる。楽しいことを共有してくれる。幸せなことだ。しかし、自分は相手の話を広げることしかできない。広げるといっても、それは、相手の話を借りて、自分の引き出しのなさを隠してるようなものだ。


そうだ、相手が話を出して、こっちも楽しくさせてくれようとするけれど、でもそれは一方向で、自分は自分の楽しいをお返ししていない。


相手が


「バイト仲間の男の子、女の子と飲み会してね、それでその女の子は彼氏と高いフレンチに行ったらしくて、でも男は無職だから女の子が払ったらしいんだよ」


と言う。


おもしろい。自虐的で笑えるし、バイトしてない私に、ああ仲間がいるんだ、と安心感をくれる。


私は


「バイトか、俺もしてないんだよね、しようかな〜」


なんて返したりする。嘘だ。する気なんてない。してないことを、しようと考えてる、というマシな方に変換しようとしてる。



「いいじゃん、始めたら。俺も遅く始めたから」


続いて相手は


「俺バイトでこのぐらい稼いで、資格もとってさ、将来この職つきたいんだ!もうそろ内定もらえるかも」


と話してくれる。


友達の喜びは、私の幸せになる。素晴らしい友達をもってる私も、底上げしてくれる気分になる。同時に、かなしくもなる。

うん、私にはなにもないんだ、

といつかの論理学の授業よりも説得ある形で、証明されてしまう。



いつの日か地上波で観たドラマ、『どうせ死ぬなら、パリで死のう。』を思い出す。

主人公の哲学の教授を目指す男が、明日のない日々に、超ネガティブの悲観主義シオランの、人生を全否定する言葉に触発される。





その哲学者はいわゆるメンヘラだろう、自分にはなにもないと思ってる、けれど私は、名を馳せた偉大なその哲学者よりもない。

いいよね、そのメンヘラで売れたんだから、学者になれたんだから、とメンヘラムーブをかましちゃう。

認めたくないけど、売れないメンヘラなんだよ、こっちは、と。


『どうせ死ぬなら、パリで死のう。』の主人公は大学の非常勤講師。

作中では、非常で授業をして、常を求めて、色んな大学に願書を出す。一通返事がきて、預かった甥に「受かったんだ!」と励まされながら開封する。しかし、「不採用」。一々、一喜一憂させんな、送ってくんなとヘコむ。

死刑宣告しなくていいだろ、と。


私はこれを観て、いっしょにヘコんだ。

どんな感動青春映画をみたときよりも大きく。まさしく、ぶつかりオジサンと化した現実の壁に直面した。どうしてこんな嫌なんだろう。そう思うけれど、ヘコんだ理由はわかってる、わかりたくないけど。


私は、主人公のように好きなことを突き詰めたい。好きなことで稼ぎたい。いや、稼ぐことより、好きなことだけで暮らしていたい。嫌いが、私の構成要素にあってほしくない。


もしも。

「将来に悩む」と相談する高校生あれば、

「いや、好きなことをしていたらいい。何事も道がある。アニメオタクでも、アニメの研究者になれる」と思うけれど。デクノボウと呼ばれてもいいだろ、好きなことだから。


そう自信ありげでありつつも、わたしも、将来に悩む、迷える羊だ。

自発的じゃないデクノボウのように、迷えても、導く犬がほしいとばかり思う。




私にはなにもない。リアルがない。あるとすれば、たまに個展にいくこと。あとは、行きつけの喫茶店があるぐらいだ。だけど、そこでも心臓めがけ現実で刺される。



そこは入った瞬間、タバコの煙が嗅覚に満たされる。そのすぐに、コーヒーの香りが追いつく。

私は産地なんてしらないのに、飛行機に乗らずして、私の鼻に旅情をさそってくれる。


なんだか、母国の南米に向け、「ママ、ここにいるよ」と言っているよう。

日本の地下に向けた声が届かぬとしると、放った芳香が、店内を迷い巡る。

「残暑の候、これから、晴れてコーヒーになります、今までありがとう」

せめて母に聞こえなくとも、と豆が振り搾った液に涙がまざる。


そこで私の意識は日本へ引き戻される。出征祝いの豪華な食事を思わせる、焼けた豆の香りが残った。


一人席に座り、小説を読む、勉強からの逃避行に、物語で旅する。……ああ、これもリアルがない、実際旅してないけれど。


別に大層な小説を読んで、難しい顔してるわけじゃない。


歌舞伎町でゲイバーで働くイケメン、キャバ嬢、普通の会社員が三角関係になる小説。

手術で子供を産めない女の子が、ある日彼氏の浮気相手に「子供を育ててくれ」と言われ、私が唯一愛していたのは飼犬なのに、となる小説。


近くの仲良さそうなカップルを横目に、彼女いない鬱憤を晴らす。

カフェで前戯すんなよ、小説のこの人たちみたいになったらおもしろいのに、って。



他のカフェと違って、そこは穴場の個人経営店で、本を読みやすい。時間を気にしなくて済む。


それにマスターが話しかけてくれる。

前なんて、閉店後から深夜2時まで、二人きりで話した。

カップルの話し声がなくなり、店内に響き渡るレトロの洋楽がクリアにきこえる。

私以外へ向けられた視線。それをかいくぐって、しかしそれに囲まれて一人読む小説。

ひとりでアンティークの机を独占していた場所が、一気に、マスターの意識が注がれる空間へと変わる。

まるで、コーヒー通に厳しい目で選ばれた豆のように。

そして初めて気づく、そうだよね、ここは機能じゃなく、一人の生身の人間の、生を営む場所なんだ。


それからは、マイケル・ジャクソンが〜、Princeが〜、アラン・ドロンが〜。

そんな話をして、私の昭和興味をくすぐってくれる。昭和の父母の話を聞くかいがある。父母の教えてくれる昭和のことを言い、マスターを介して、父母とつながった感覚がある。



私は、まるで、警察の目を盗んで集会した共産主義者の密談の気分になる。


知識ない私はほとんど話を聞いてるのに近いけど。




洋楽、昔の映画、スーパーの話が終わり、ひとつ息を吸う。

二人同時にタバコにくちをつける。

立ち上るそれが、その場の空気を、きまずさを中和する。

吐く煙が沈黙を破ると、マスターが言う


「大学はどう?」


私は答えに詰まる。本来、話を続けるために使う「そうですねぇ…」を、戸惑いを隠すために。


「大学全然行ってないですね、最近小説読みたくて、俺不器用なんで」


と返す。これを3日ぐらいリサイクルした、ゴミみたいな返しを。


マスターが「そうだ、研究者になりたいんだもんね、大変だよね」と、ありがたくつないでくれる。歳下の特権を感じる。


逃避行の喫茶店でも、私は現実を思い出してしまう。しかし、嫌いではない。マスターは、日本にスタバ一号店ができた当初から、コーヒーを愛していた。コーヒーをつきつめ、今も自らの喫茶店をまもってる。マスターの働きぶりをみると、ああ、私も負けらんないな、と元気をもらう。


研究者というのは大変だ。

「研究者」の文字をみると、大体の人は教授を浮かべるだろう。

しかし、教授はトップである。自民党における総理大臣。なれる人はひと握り。しかも、どんなに能力があっても、運の世界だ。いつ、大学にポストが空くのか、募集するのかわからない。その少ないポストを巡って、多くの有能があつまる。


それに研究者は、大学を出て、大学院に行き、その次に弟子のようなものになる。ほぼ無休で無給、残業ありまくり。そう言われる。しかも、名刺に書くのは「学生」と同義の言葉だ。きっと世間体も悪い。受け取った相手は「あっ、無職…」と戸惑う。

晴れて教授となれるまで、給料がホントに少ない。「研究者はお金持ちの道楽」なんて、昔言われてたぐらいだ。


外に出て、通勤する社会人。民間企業に働くことになる友達。


私はそれらに出くわすと、自分が何者にもなれないんじゃ、と地面にうつむく。


住所不定の野良猫よりも、生を全うしていない。彼らのように、ご飯を前に喜べない。私にしては、そのご飯は、労働を取り立てるウシジマくんみたいに見える。


私が友達のように将来を考えるとき、それは先を見るのではなく、より先の死をみて悲しみ、その傷口から死神が覗くけれど、私は死神になにも返せないし、返すべき生すらまともにない。






ここには、教授となるまでの茨の道がある。

私は「将来」との文字にふれ、この圧ある多くの言葉に押しつぶされる。

けれど、実際は、この4つ以上にある。細かくより多くある。そして、それらは、社会からは「無職」を向けられる。内側からは無給と、多い仕事量を。同僚からは、無能との目を。


あとね、「大学の入学式行った!」「友達できた!」って言ってる新大学一年生みると、心がくるしい。キラキラしてる。むり。

その光り、昼間に河川敷で光合成してるオジサンと同じ仕組みであってほしい。頼む、プライドなんてないから土下座する。



続きはまた書くかもしれない。