愛に障害をもつ。私はそんな人を憎む。嫌いなタイプを聞かれたら、第一に脳裏によぎる。そういう人の大体は、家庭環境が悪い。自分の家庭環境を「悪い」と言って、話してくる。私はその家庭事情を知らないから、「悪い」からはじまる話で知る。親がバイトの給料を横取る、殴る、人格否定してくる。色々のひどいことを聞くなか、そういう人は「自分は、親のようになるまい」としている。親みたいに最低の大人になりたくない、その気持ちが強い。しかし、そういう人は、私に八つ当たりをしてくる。「親にひどいことを言われた」。それを「相談聞いて」という風に話してくれたらいい。最初はそうして目を潤している。私は泣かないで、と慰める。その優しい日々は、とうに遠くなり、次第に私に冷たくしてきたり、ひどいことを言ったりする。それも昔、「パパが浮気性」と言って、何回も浮気してきた彼女がいた。そうやって、親を否定して、反面教師としている。そうしながらも、逆らえない。己に流れる血、そのみえる裂け口から親の顔が覗く。清朝の阿片中毒者が、身体の蟻走に苦しんだように。親の面をもった虫が、体の中を、血を這い伝ってくるような。そして龍のような鱗を逆立てさせれない、そういう人は、そのシワ寄せを他人に求める。私は君が嫌い。私は家庭環境が悪かった。生まれてまもなく、夜仕事をしていて、めったに帰ってこない父親を、兄がずっと待っていた。「パパいつ帰ってくるの?」と言う。我慢できずに電話をかける。それが当たり前で、毎日そうだった。しかし、ここで私の記憶は閉じる。その後は、父親が兄の首を絞めたことだった。それからは、父と母は有形力の伴う喧嘩をし、私は兄に虐められた。毎夜毎夜、寝る時間なのに大きな声が飛び交う。そして、暴力に発展する。私と姉は、黙ってそこに座す。何も言えない。なにか音を立てれば、私たちに目がうつるかもしれない。母はトイレに駆け込み、泣いている。私は声をかけられないし、誰もかけつけなかった。泣くことは弱みだから。それと、どう接したらいいのかわからないから。感情的なつながりがない。私が感情的なつながりを感じたのは、母親の帰りが遅いときと吐いたときだった。鍵を持っていなかったために、家に入れなかった。幼少から海外の誘拐に関する絵本を読み聞かせされていた。だから、家の前で待つ時間が、とても怖かった。それ以外、私は怒ったときに「どうしたの?」と聞かれたこともない。私はそういうふうに、家庭環境がいいわけじゃない。悪かった、過去は。しかし、今まで「家庭環境悪い」ことを言い訳に使ったことがない。そもそも、それを言うことがないに等しい。その家庭環境が普通に思えた。ネットで出会う友達はもっと悪かった。シングルマザーで常に母親がいなかったり、多い兄弟をその友達が面倒見ていたり。中学の友達は、父親が不倫しているところをみたという。そして悲しんでる彼の家に行って、慰めたりもした。だから、自分の家庭環境を「悪い」って言うのは、それ以上に悲しんでいるはずの人を否定している気分だった。
私は君が嫌い。君は、「私は家庭環境が悪くて、他の人と違う」といった面で一線を引いている。君は、誰も理解してくれないって思ってるだろう。家庭環境いい人は育ちがいい、そして悪い自分は、その人たちと違う世界で生きている。育ちのいい人は温室で、真心込めて暖かくスクスク育った人である、自分は険しい山道を歩いていく野生の動物のような偉さがある、そうやって君は、分類したがるきらいがあるはずだ。実際のところはわからないものの、そういう雰囲気を感じてしまう。たしかに私は、君ほど家庭環境悪くない。だけど、私も家庭環境が悪かったところで同じだし、全く異なる世界観ってわけでもない。君が、エロティックでロマンティックな邦画をみて、「育ち悪い人はこう生きなきゃ」なんて教科書にしてそうなのも、わからなくはない。私にもそういう時期があった。『蛇にピアス』は、当時気になっていた20歳の子とみて、劇中と同じようにずっとイチャイチャしたいって考えてた。歌舞伎町に行って、酒に溺れて、色恋に走って、違法なことに染まって。それも自分の育ちの悪いところを、肯定してあげたい、なんて気持ちからうまれた。人は育ちのいい部分ばっかりみせる。表面上は。でも、自分で自分を愛してあげた方がいい。ずっと隠して、奥へ奥へ邪魔者扱いしてきた「育ちの悪い部分」を、いつかは優しく撫でる日が必要になるはずだ。