本日もご訪問いただきありがとうございます。

今日は、なんと朝から大忙し・・・書の先生が、大覚寺で開催されている「源氏物語と嵯峨野古典文学めぐり」への遠足を企画してくださいました。

みんなそれぞれ車に分乗して・・・

運転できない自分たちだけではなかなか行きづらい遠い大覚寺に到着(車で40分ほど)。ワクワクです。

まずは、車の前でパチリ!



 

そして、大覚寺境内へと進みます。駐車場以外からの参加者とも合流し記念写真



 

さて、いよいよ大覚寺へと入ります。





 

門を入ったすぐ右の松(臥龍がりょうの松)がとても低いところに枝が伸びていてみんなで驚きました。



 

ここで、ちょこっと大覚寺の説明を・・・https://www.daikakuji.or.jp/about/

弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。 平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18(876)である。

まずは、入り口を入ってすぐに御輿が置かれていました。



 

そして重要文化財の宸殿(しんでん)へ。

江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿として使用していたもの。妻飾つまかざり、破風板はふいた、天井などに装飾がこらされている。正面には御所の名残りとして右近の橘、左近の梅を配す。蔀戸しとみどの蝉の飾りは精巧な作りとなっている。









 

そして宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光いなびかりにたとえ「村雨の廊下」と呼ばれる。高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られている。床は鴬うぐいす張りとなっている。(なるほど)



 

さらに、勅使門(ちょくしもん)へ:嘉永年間(184854)の再建。門は四脚門しきゃくもんとし、屋根は切妻きりづま造り、正面および背面に軒唐破風のきからはふを付け、全体は素木しらき造りだが唐破風の部分のみ漆を塗り、鍍金ときんの飾り装飾を施している。勅使のご来山や門跡猊下出仕の晴れの法会など特別な時のみ開かれる。



 

ツアーの続きは明日に続きます。




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