本日もご訪問いただきありがとうございます。
午前中は、研修会の申し込みの受け付け作業と配布資料の印刷をしていました。
お昼は、私たちの大好きな最高のパン屋さん“ジェルメ”の全粒粉の食パントースト・ベーコンエッグ・ピーマンのバター炒め・バナナヨーグルトブルーベリージャム添え、アールグレーのミルクティー。
今日は月に一度の百人一首の会の日です。
吉田山荘のカフェ真古館へ・・・・
今日は先生は紺色系の涼しそうな紗?のお着物で・・
今日の一首目は、藤原清輔朝臣(84番) 『新古今集』「永(なが)らへば またこの頃(ごろ)や しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋(こひ)しき」
藤原清輔:百人一首79番の藤原顕輔(あきすけ)の息子。清輔は六条藤家を継ぎ、歌学の大成者となりました。二条院に重用され、「続詞華集」の撰者となりましたが、二条院が崩御したため、勅撰集は実現しませんでした。
次の和歌は、俊恵法師(85番) 『千載集』「夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり」
僧侶が女性の立場になりきって詠んだ恋の歌。
俊恵法師:源経信(つねのぶ)の孫、源俊頼(としより)の息子。奈良・東大寺の僧で、京都白川の自邸を「歌林苑(かりんえん)」と名付け、歌人たちのサロンとしました。藤原清輔・寂蓮などが集まりました。「方丈記」の鴨長明なども俊恵法師の弟子として知られています。
西行法師(86番) 『千載集』「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」
西行法師:本名を佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇に北面の武士として仕えていました。23歳の時に妻子と職を捨てて出家、京都・嵯峨のあたりに庵をかまえ西行と号しました。出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠み、さすらう歌人として知られます。高貴な女性:鳥羽天皇の后(璋子たまこ)に恋をしていた?。
藤原俊成と交流を続けた。
今日のおやつです。中国のお茶と祇園饅頭の笹ダンゴ?とても美味しかったです。
本日の装いです。白に鼠色の段暈しの盛夏の着物生地で作ったワンピースに、ヨーガンレールのラピスラズリのネックレスを・・・
アクセサリーがブルー系なので、ツイリーもブルー系に合わせて・・
ヨーガンレールのブルーグリーン系のスカーフを羽織って・・
夕食は、シーチキン・キャベツ・青紫蘇スパゲティー。百人一首の会は、もうかなり100首に近いですが、早川先生はとてもとても興味深いお話をしてくださるので、100首過ぎても、ずっと習い続けたいと思っています。このような素晴しい先生とのお出会いに感謝いたします。
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