病気が治らないのは私のせいだろうか?
『癒す心、治る力』アンドルー・ワイル著より②
前回はこころが体調に及ぼす一例の内容でした。
これを語る時に気をつけなくてはいけない点は
病気が治らないのは私のせいだろうか?
とも
裏返せば、聞き手が受け止めてしまう危険がある事です。
ワイル博士はあくまで経験した事実を医師として考察しています。
大切な内容なので長いですが
一気にお伝えします。
『病気が治らない。それは私のせいだろうか?』から
以下抜粋です。
『いま*、
多くのアメリカ人が心身相関の神秘に魅了され、
セルフヘルプ(自助)関連の本がベストセラーの上位にならび、ニューエイジの思想が人気を集めている。
そのおかげで、病気にたいする個人の責任という考えが強調されるようになった。
われわれは特定のこころの習慣や嗜癖によって、
否定的感情の表出に失敗することによって、
精神的/霊的生活を送らないことによって、
みずからを病気に追いこんでいる、というわけだ。
そうした考えを普及させている人たちは、
善意でそれを行なっている。
自分の健康にもっと責任をもってほしい、
こころの力で治癒力が高まることを知ってほしい、そう願う彼らの善意は大いに評価できる。
だが、意図しなかったこととはいえ、
彼らのメッセージが患者のこころのなかに罪悪感を生みだしているのだ。
「がんになったのは、わたしが悪い」
「治らなかったら、わたしが悪い」
病気にたいする罪の意識は破壊的である。
それは治癒系の活動を低下させてしまうのだ。
乳がんは古い外傷が原因だという、かつて人気のあった考えには科学的根拠がない。抑圧された感情という新しい考えも、同じようにまちがっているかもしれない。
乳がんは遺伝と環境的因子との複雑な相互作用の結果であり、そこには食生活、飲酒習慣などライフスタイルの問題、エストロゲン性有害物質との接触などが関与していて、それらの影響のほうが感情の影響よりも大きいと思われる。
悲嘆や抑うつが免疫能をおさえ、小さな腫瘍細胞を目立つほどの大きさの腫瘍にまで成長させてしまうおそれがあることは確かだが、怒りなどの感情表出に失敗したからがんになるという考えには同意できない。
また、治らないことがその人の精神性または霊性の状態にたいするなんらかの審判をあらわしているというような考えにも、まったく同意できない。
祈りと治癒との関係について調べている数少ない研究者のひとりであるラリー・ドッシー博士は、がんで死んだ東西の聖人たちの興味深い目録をつくっているが、その事例があまりに多いので、がんはほとんど聖人御用達の災厄かと思われるほどである。
治癒が悟りや否定的感情の超越によって起こるものだと考えたくなったときは、どうかそのことを思いだしていただきたいものだ。』
*この書籍は1995年9月 日本にて刊行されています。
心の在り方を説くことは
自責の思いと死の恐怖の渦中におられるがん患者さんにとって
残酷である場合が多いのは、
私にも経験があります。
ですが、私個人的には
諦めずにこころと向き合っていただきたいと望んでいます。
だから
気持ちの余裕を持っていただける様に
寄り添っていてあげたいと考えています。