番外編〜師の教え


どうぞお許しください。

〜最初に謝罪しておきます。


前回

「ただ師を信じ疑問をはさまず追随する」ことは、怒られるとわかっていてもごめんだと書きつつ

なんとなく、お釈迦さまの涅槃を思い浮かべました。


涅槃の場面は師弟の関係が描かれています。

場面は一つですが

その解釈は二つあります。

①お釈迦さまから教えられた事を疑問を持たず実践して精進し続けなさい。

②お釈迦さまの教えよりもっと現実をとことん受け入れなさい。


お釈迦さまが「最後に聞いておきたい事はないか?」とお弟子さん達に聞かれたとき

お釈迦さまに質問する者はいなかったと言われています。

何故、誰も聞かなかったか?

その訳は

お釈迦さまの説明に間違いはない→解らないのは精進の足りない自分のせいだ

→質問するのは恥ずかしいこと

…みたいな空気になったから


お弟子さん達と同じく、①の解釈をしておられる方も多いと思います。

もっともっと教えを理解するために精進せねば…と。

でも、そんな皆様に重々申し訳ないと思いますが私は②の解釈を支持しています。


本当に怒られそうな例えで「涅槃」を捉えます。


師の教えというのは

カツ丼を食べたことがある人が、カツ丼を見たこともない人にカツ丼の事を説くようなものだと思います。

お釈迦さまはきっと“カツ丼を食べた人”であって、お弟子さん達はカツ丼を知らないままお釈迦様の“カツ丼の話”に従ってきたのでしょう。いよいよ涅槃の場面でお釈迦さまがお弟子を呼び、最後に何を伝えたかったのかと言うと「私の話をありがたがるのもいいけど、皆も実際に本物のカツ丼が食えるように頑張んなさい」…なのではないでしょうか。

しかも

「ちなみに私の食べたのはカツ丼だったけど、どんぶりってカツ丼だけじゃないのよ。だからあんまり私の言うことだけを信じないでね」…


諸行無常、すべては滅びゆく。「教え」も例外ではなく。


…蛇足

これも辻褄の合っていない疑問なのですが

すべて滅びたあとには何が残るのでしょうか…


やっぱり怒られそうガーン   孫悟空