姜尚中氏の 心の力 を紹介します。 | okko0123のブログ 成人性T細胞白血病皮膚リンパ腫アグレッシブ型

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白血病の中でも希少がんである、「成人性T細胞白血病皮膚リンパ腫アグレッシブ型」を発症。出生した時の輸血によりATLキャリアになった。
。情報が少ないので、私の体験を公開する。

心の力 姜尚中著は、漱石「こころ」 トマス・マン「魔の山」を人生の物語として読み解き心の力を考える本です。
姜尚中氏は息子さんを亡くしておられ、現代の生と死に深く向き合ったのです。
以下は心に響いた箇所を抜粋したものです。
私たち造血幹細胞移植を受けて、人生が思いがけず変化した者にも示唆を与えてくれるかもしれません。 今日もありがとうニコニコ

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心は自分が何者であり、自分がこれまでどんな人生を歩んできたのか、「そして、これから」どう生きようとするのかという、自分なりの自己理解と密接に結びついています。
漱石は変わりゆく時代の中で、置き去りにされる人々の心を書こうとした。:人間の内側に入り込みそこから社会を見る方向へと視野が広がる。
トーマス マンも人間の心を洞察した作品 魔の山を書いた。:社会から人間の内側に向かっていく。

 

なぜいきづらいのか?

”隣人がいない” 

(いまは)個人は切り離されていますから、ひとたびことが起これば、即座に悲惨な状況に突き落とされてしまうのです。 「人とともに生きていく」という考え方が、社会の土台になければなりません。 人心の安定と社会の安定は密接に関係しています。 

 


陰湿ないじめや、無差別な凶行、さらにネットを駆けめぐる鬱憤晴らしのためのスケープゴート叩き。また、かつての国粋主義を彷彿とさせるようなヘイトスピーチ。これらを見ていると、グローバル資本主義の敗北者たちや没落の不安に怯える人々の中で、排外主義や社会の「異物」への攻撃にはけ口を見出す傾向が顕著になってきているように思えてなりません。現代の荒廃した心は思った以上に危険ラインに近づきつつあるのではないでしょうか?


漱石やマンが描いたのは「心が失われ始めた時代」の心でした。それから百年後のいま、わたしたちは「心なき時代」の心に向かい合っている。


魔の山に描かれる ダヴォスのサナトリウムには、下界(世間)の理屈とはまったく違う時間がたくさん詰まっていた。インターネットやSNSをはじめとする情報技術はこの世界のありとあらゆる経済活動を飛躍的に発展させました。しかし、そのおかげで私たちは24時間戦う戦士になることを要求され心が休まる暇が亡くなりました。
人間の秘密を白日の下に全てさらけ出そうとするのがグローバリゼーションだとすれば説明不能の謎に満ちた山上の世界には、人間のある意味尊厳の世界があるといってもいいかもしれません。
だからこそ、私は大学は「魔の山」たれと言いたいのです。
即戦力とはそんなに素晴らしいものでしょうか?
利益を生まないものに、価値はないのでしょうか?
無駄減らしは、それほどいいことでしょうか?

世間で言われている方程式に従ってたった一つの高い理想を描き、そこから外れたらおしまいだなどと、震え上がらないでくださいと。まずは、自分がいいと思う道を進んで、それがダメだったらいくらでも図太く方向転換すればいいのです。心の幅とは結局いくつもの選択肢を自分の心の中に持っていることなのですから。

時代はどんどん移り変わり、その中でよいとされる価値観も変わります。永続的なものもありますが、一時的な流行も少なくありません。その中から最適な値を見つけ出すことは嵐のあとの濁流の川を船頭さんがなんとか安定を保ってこぎ続けるようなものですから、かなりしんどくはあります。しかし、そのような流れに負けない抵抗力をつけるためにも、人生のある時期に「魔の山」のようなところで心を育てることは有意義だと思います。

消えない命のともしび
生物としての人の生命は言うまでもなく死んだらおしまいです。しかし、終わりになった人の物語を受け取った人がいて、それを誰かに物語り、それを受け取った人がまた誰かに物語り、それを受け取った人がまた誰かに物語り・・していくとその人生は終わりにならないのです。もっと言えば、消えたはずの命にふたたびいのちのともしびがともるのです。


語り継ぐということは、敷衍して言えば一人ひとりの死を無駄にしないこと。一つひとつの命をいとおしみ、あるいは”隣人”の問題として考え、さらにその歴史をみなで共有するということでしょうか。そうした態度が広がっていけば、いまの社会に蔓延している心の病や心の孤立、そして孤独な死のありようも変わっていくのではないでしょうか?


『こころ』の主人公の青年には、亡くなった息子の面影がこめられているのです。私は彼の記憶をなにがしかの形で、永遠に語り継いでいきたかったのです。『こころ』の「私」が先生の死をまるごと受け取り、その記憶を語り継いだのと同じように。私も私の中に生きている息子のともしびを、いついつまでもともしたかったのです。人が生きた証を語り継ぐ・・


時代と心を切り離すことはできません。人の心は時代とともにあり、また時代は人の心を映し出してもいます。時代は私たちの心を幸せにもし、不幸せにもしますし、また私たちの心がどうあるかによって時代の空気も変わってきます。


私は、ハンス・カストルブの洗礼磐、河出育郎の万年筆が象徴しているような、受け継ぎ、さらに語り継いでいくものを、みなさんがしっかりと自分の手で握りしめてほしいと思います。そして、生きづらくても、生きづらくても、最後まで放り出さず、ぎりぎりまで踏ん張ってみてほしいのです。カストルプや河出のように。そして自分などトリエのない凡庸な、つまらない人間だなどと思い違いをしてほしくありません。なぜなら、カストルプと河出がそうであったように、人生のイニシエーションを受けながら、決して染まらず、まじめに生き続けることにおいて、平凡さの中の偉大さを遺憾なく発揮していることになるのです。
まじめであるから悩み、その中で悩む力が養われていくのです。そしてこの悩む力こそ、心の力の源泉なのです。


猛烈なグローバリゼーションの嵐が荒れくるう中、多くの人びとの心が痛めつけられ悲鳴をあげているように見えます。
だからこそ、若い人たちに対して真摯に心の力を身につけてほしいと望むのです。