名前の話し、前回からの続きです。
小学生の頃に、自分の名前に関して自覚した出来事。
私のナミという名前のミの漢字は巳年の「巳」です。それを幼い頃は「己」と書いていました。
男性の名前でも克巳とか、友人にもこの巳の漢字の名前の人がいますが、彼らも開く「己」を使っている場合が多く、そちらの方が格好良き、という理由からでした。
私も似たように考えていたと思う。
開く方がバランスが取れているような。
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私が通った小学校には不可解な憤りや怒りをぶつける音楽の教師がいて、全く身に覚えのないことで生徒をよく人前で攻撃していました。
ある時私は彼女の標的になり、いろいろ訳の分からないことをわめかれた挙句、その時に返されたテストは〇点だと言われたのです。
その理由は、自分の名前を書いていないから。
それになるほど、と私は納得したのです。
その教師は嫌いでしたが、普段あまりにも理不尽な態度で人と接している彼女のことがなんだか可哀想というか、不思議に思っていました。
でも彼女はその時正しいことを言って、私を目覚めさせてくれたというか。
それまで開いた「己」の方が「巳」よりカッコイイと思っていた私は、それ以降きっちり閉じて「巳」と書くようになり、今に至るまでこちらの方が好きになったのです。
櫻井神社に初詣に行ったら、もう梅が咲いていた。
東京パラレンピック閉会式で流れたEvery child has a beautiful name...の選曲もとても良かった。
みんなちがってみんないい、まさに 金子みすゞ の世界。
名前とは、存在そのもの、大切なものだから。
マルグリット・デュラスの「エクリール」というエッセイ集の中にも、名前に関して印象的なことがあります。
その頃の近況として、ルノーの民営化の際に闘争し、それに伴って解雇された人たちの名前を刻む碑を建てたいと申請していると。
ひとりひとりがそこに居た証になるだろうから、と彼女は語っています。
それは夥しい数の労働者たちの名前の羅列。
淘汰される波の中で戦った戦士たち。
映画の中で名前を刻むシーンで思い出すのは「ショーシャンクの空に」のBROOKS WAS HERE。
ブルックスは命を絶ってしまったけれど、ここで(この世で)生きたぞと証を刻んで去ったのは、彼の人生が悲しみだけではなかったと思えます。
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