睦月の早朝瞑想、終了。
毎月実感するのは、誰かと一緒に瞑想するのもいいなぁ、ということ。
最終日はいつも「ただ座る」の実行です。
その間長く感じる人もあれば、ご参加のみんなが全員あっという間に感じることもあるようです。
瞑想の実践は時間の概念を多様化するのが面白い。
六日間の間は最終日の「ただ座る」に向かいからだの感覚を研ぎ澄ませていくことにフォーカスしますが、それは感情に持っていかれないようにするための練習です。
感情はからだの反応であるから、それに取り込まれないようにすること。
怒りや悲しみ、喜びなどの感覚は生理的な反応能力です。
反応能力とは感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対し、どう反応するかを選ぶ能力。
感情を司る大脳辺緑系内に、様々な感情に充てられたプログラムが存在しています。
そのひとつが誘発されると化学物質が体内に満ち渡る。
そしてその生理的反応は血流からその物質の痕跡が消えるまで90秒以内で終わります。
だから例えば90秒経過してもなお怒っている場合は、その感覚の維持(=怒っていること)を自分で選んだということ。
クラスでもよくしている話ですが、私はこのことを脳卒中から回復した脳科学者の闘病記から学びました。
私には自分ではなく、近くに居ることが多かった人の負のエナジーに取り込まれていた経験があります。
悲しみを伴う焦燥的な不満と怒り。今思えばもの凄い力がある渦だった。
その人は自分でそこから出ようとはしなかったので、ずっと不幸せに見えていました。
私は昨年から決めたことがひとつあって。
それは「みんなにいい顔をするのをやめる」ということなんですが。
それと矛盾しているような思いかも知れないけれど、幸せでいて欲しい。
私も、私の大切な人たちも、日々すれ違う人たちも、遠い国の見知らぬ人たちも。
自由でありたい。
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