最近読んだふたつの記事から感じた、違和感。
もうひとつの記事は、ウクライナ侵攻が始まってからロシアを出て隣国ジョージアに滞在する若者たちの現地ルポです。
違和感に関する前回の記事はこちらから↓
ジョージアはロシア人がノービザで入国できるため、現在かなりの人数が流入しており、現地と少なからずの摩擦を生んでいるようです。
首都町中にはあらゆる場所に、ロシア人に対して国から出ていけとの強い言葉が掲げられている。
それというのも、ジョージアはウクライナと同じように「ロシア系住民の保護」という理由で、当時首相だったプーチン主導の武力侵攻を受けています。
かつての国土の2割は、それ以降クリミア半島のようにロシア領土として占領されていて、ジョージア国民はロシア人が増えることに危機感を募らせている。
「"善良なロシア人"であっても、ジョージアへの移住が問題を引き起こすことを理解するべき。」
という地元の飲食店オーナーの言葉は本質を伝えています。
"善良なロシア人"であっても。
ルポに登場するロシア人の若者は、それぞれ母国のウクライナ侵攻後に国を捨ててジョージアに流入。
ロシア政府に反発し、ウクライナを支持し、異国で信じる道を生きたいともがいています。
ひとりはユーチューバーで、今のロシア政府に抵抗するロシア人の若者たちの活動を発信しながら、ジョージア在住のウクライナからの避難民たちの生活をサポートしています。
おそらくはユーチューブ動画投稿の収入で。
もうひとりはウクライナ侵攻直後からモスクワで反戦デモを展開し、徴兵令を受けた後に大学をやめてジョージアへ逃れました。
オンラインでロシア語を教えながら月14万の収入で暮らしています。
そのうちの半分が家賃に消えるという物価高騰に驚きますが、それもまたロシア人が増えたからというジレンマの中での生活。
それでも家賃7万の彼の部屋にはコンピューターがあり、きれいに片付いていた。
彼が夢見るのは、アメリカの大学で学ぶことなのだそう。
私はこれに違和感を感じた。
私たちがサンセットに魅かれるのは、どうしてなんだろう。
ロシアの若者たちも未来を突然奪われたわけで、戦争に関わりたくないという強い気持ちを持つだけではない、個人的な夢や目標、将来に対してのやるせない想いを抱えているのだろうと思う。
彼はロシアから逃れてから自分のIDを燃やす動画を公開していて、その表情は自信に満ちていた。
平和な国で、学びたい。
というただシンプルな希望を口に出すことに罪はない。
うっすら感じる違和感は、なにか他人事のような、乖離感が伝わってきたので。
アメリカの大学って、どうやって?
今ジョージアにいるあなたの状況が起こしていることは?
彼ら自身の責任ではないとはいえ、ロシア人であるということでジョージアのような国に大挙して留まることで大きな問題を引き起こす要因になりえるということをどのように認識しているのだろうか。
簡単な問題ではない。
生きるか死ぬかの問題に対峙した時には、人に迷惑をかけない、といった倫理的選択は後回しになるのかも知れない。
私は、自国から追われるような危機に陥ったことはない。
そもそも生き延びるのに人に迷惑をかけるかどうかの振るいが大事なのか?
ある意味とても日本人的な考えでもあるし。
迷惑をかけるかどうかではなく、正しいかどうかでもなく、自分がそれで安らかで、オーケイでいられるかどうかでは。
生死の境を前にする選択を迫られたことはないけれど、いろいろ対峙する中で自分の感覚で受けとめる違和感や心地良さには、感覚を鋭敏にしておきたいと思う。
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