Lokah Samastah Sukino Bhavantu.
ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ;
生きとし生けるものすべてが、幸せでありますように。

とても好きなマントラです。唱えている時はいつも、心からそう願っています。でも実際にそれは自分の都合の範囲内で、ということなのだなと痛感することが時にあり、今がまさしくそれ。ただ今、大量殺生中。

台所に侵入してくる、蟻の集団。キッチンに面しているお隣りの住宅が少し高い位置に建てられているせいなのか、台風の後などに蟻の群れが入ってきます。一時的な場合はいいのですが、いつの間にか生活圏にされてしまう事があり、これがやっかいなのです。

食品を入れた引き出しに群がる蟻に、棚をひっくり返して掃除をしたり、収納場所を変えたり。キッチン用具を全て洗い直したり。そんなことをパートナーがうちなんちゅの友人に話したら、とてもいいモノがあるとの情報を入手してきました。
彼らが大好きな餌が入った、小さな出入り口が付いた容器。その餌を巣に持ち帰ると皆殺し、巣は全滅に至るなり。

ホームセンターで売っているそれが、数日前から台所に置いてあります。

殺生しているのが私本人のナイーブな発言ではありますが、自分の体よりも大きなえさをせっせと運ぶ働き蟻たちを見ていると、可哀想ですみませんという気持ちが湧くのは抑えられない。金子みすずの詩を思い出しました。

私がもっとも強烈な印象を受けた彼女の誌は、「大漁」。

 

大漁
 
朝やけ小やけだ
大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の
大漁だ。
 
浜はまつりの
やうだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。



初めて金子みすずの名前を知ったのは、玄侑宗久禅師の著書「禅的生活」です。"風流に生きる"の章でまず「志(こころざし)」を立てよ、とはじまり、しかし表現し過ぎた志は怖いとあります。

良寛和尚の父親である橘以南、金子みすず、そして宮沢賢治の三者を例に出し、過激な表現をした志に、表現者自身がじわじわと確実に縛られ、立ち往生していくのではないかとの、禅師の見解が語られます。

一茶と「慈悲」をテーマに俳句の競演をした橘以南は、"そこ踏むな ゆうべ蛍の居たあたり"とよんで一茶を降参させました。新進気鋭の若い一茶を黙らせた句ではありますが、しかし昨夜そこに何かが居たと考えるとすれば、極端ではあるが東西一歩も進めなくなってしまう。また橘以南が入水自殺をしたことは、彼のそのきつい志の表し方と全く関係ないとも言い切れない気がする、と書いています。

宮沢賢治においては、「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という極論的な表現がそれと指摘されています。橘以南と同じく自死にて亡くなった金子みすずに関しては、優れた童話詩人であるとして、彼女が無理な表現に自分の全体を合わせることのムリを、こんなふうに書いています。


「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」までは佳かったけれど、「私は好きになりたいな、なんでもかんでもみいんな」とまで言われたら「それは無理です」と言ってあげたい。
「私がさびしいときに、仏さまはさびしいの」と言われたら「それは違います」と申し上げたい。

自身を追い詰めるまでの志の表し方の例として、心に残りました。
私たちは食物連鎖の最高峰に位置する人間で、この数百年の間で夥しい数の生命を絶滅させています。今に至る、そして現在進行形の殺戮に直接参加していないとしても、その破壊の過程に私たちひとりひとりが全て間接的に関わっていると考えて間違いないでしょう。
それでもあの美しいマントラを手放したくはありません。

Lokah Samastah Sukino Bhavantu.
ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ
生きとし生けるものすべてが、幸せでありますように。

列をなして毒である餌を運ぶ蟻をみつめて私がしたこと、それは感謝です。死にゆく蟻たちに向けてしたわけではないのですが、漠然とした全て、自分が生かされ、恵まれていること、全てに感謝しました。そうして私が得た気づき。

救われるために、私たちは感謝をするのだな。

何かの存在、人、動食物などの有機体、哲学や思考、現象、神と呼ばれるものまで、それそのものを祝福する感謝もあります。いろいろな感謝があり、そのたくさんの感謝の形の中で、救われること自体が目的ではないけれど、感謝をして救いを得る、感謝して救われるのだと解りました。

鈴と、小鳥と、それから私。その全文を聞いたのは、お師匠の合宿トレーニングででした。玄侑宗久禅師の著書で出会った「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」、のフレーズで満足していた感があり、それまで全部を読んだことはなかったのです。

「大漁」とはまた違うスタイルの、金子みすずの生きものへの全肯定賛歌。大好きです。


私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
 
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


 

littleC

 

聖なる浜辺、ヤハラヅカサの蟹。この後シュルシュルもぐっちゃう。

 

 


 

 

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