ヨーガの世界のふたつの身体観、体に関しての考え方。
タントラの粗大身・微細身・原因身、ハタ・ヨーガでは肉体である粗大身を使って微細身を作り上げていくので、アーサナ(ヨーガのポーズ)はとても重要な行です。そしてヴェーダーンタのパンチャマヤ・コーシャ/panca(5)maya(~からできた) kosa(鞘)は、5つの異なる次元の鞘が入れ子のように重なっています。

ブログテーマ・トップのご挨拶、「こんにちは、オキシャンティです」で紹介しているGary Kraftsow氏のマントラ、自分自身への崇敬のうたは、この5層に向かって唱えたものと言えるでしょう(こちら)。

パンチャマヤ・コーシャの一番外側は、食物からなる鞘(アンナマヤ・コーシャ)で、タントラの粗大身と同じく、肉体です。そのすぐ内側にあるのは、宇宙の風であるプラーナ、中医学でいうところの「気」と似たエネルギーでできている、プラーナーマヤ・コーシャ。東洋医学では体表を気が流れ、ヴェールのように肉体を覆っているといいますが、パンチャマヤ・コーシャは「真我」に向かって内側に層が重なっていきます。

先日シャバーサナ中に、このプラーナでできたエーテル体を強く感じることがありました。ヨーガでも気(プラーナ)の体以外に、4層の微妙で繊細な波動の体が肉体を包んでいる、といいますが、今回私が感じたのは肉体の内側にあったように思います。


blooming


3年ぶりに大きな花を咲かせた、アマリリスの鉢。今ふたつ開花しています。



シャバーサナ・屍のポーズで肉体(アンナマヤ・コーシャ、もしくは粗大身)の心地良い弛緩を感じながら、その内側にある、人型というか、包み、入れ物のような何となくもや~っとした感覚のあるものが感触として現れ、それを観じていきました。
その中の6つのチャクラを下からひとつづつ、意識しながら回していくとプラーナの流れがどんどん明確になっていき、強いエネルギーの波が全身に渡っているのが解るのと、臍とみぞおちの間あたり、第3チャクラから体が引き裂かれるように流れが2分していきます。体が上下にびよ~んと延びていきました。

そうしていると、ふと人の顔が浮かんできます。友人であったり、よく行くスーパーのレジのお姉さんだったり、ランダムに浮かんできては他と代わっていくそのそれぞれに、メッタ・バーヴァナ(慈愛の瞑想)をしていきました。

「あなたが幸せでありますように、あなたが幸せでありますように。」

と繰り返しているうちに、それまで一人づつの顔だったのですが、両親の顔がいっしょに浮かんできました。とても幸せそうににっこりと微笑む顔が輝いていて、そこで私は自分が愛に包まれた存在だという事が、はっきりと解ったのです。

そう思ったとたん、声を出して泣いてしまいました。感情がのぼってきたのは、体がトラウマを覚えているからだと思います。そのトラウマは愛に対して肯定的ではなかったとき、不信、渇き、無力、怒りや悲しみなど、今は覚えていないことも含め、いろいろな場面で起こった感情が体に残っていたのです。

プラーナ・気でできたエーテル体を観じて時空を超えたどこかと繋がり、そこに溢れる愛を感じました。ほんとうに、眩いほどに光り輝く愛です。私たち全てが愛に包まれた存在です。

シャバーサナで泣いたのは、随分久し振りだ。何年も前だったような、と考えていたら、偶然最近の自分の投稿を見て思い出しました。2月に師匠のクラスを受けた時に、泣いております(笑)。(エントリはこちら





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