マユミさんからお誕生日に頂いた、トゥルシーの種。 30粒くらいあった中から3分の1ほどが芽を出し、5つが成長を続けています。もう少し茎が太くなったら、鉢に植替えするのが楽しみです。

トゥルシーは英名ホーリー・バジルと呼ばれ、その名から想像するとおり高い薬効を誇る、アーユルヴェーダにおいて最重要のハーブであり、また強力な抗酸化作用を持つ「アダプトゲン」のひとつでもあります。
こ のアダプトゲンという言葉、昨年サユリさんのローフードWSで初めて聞いたのですが、ストレスへの抵抗能力を高める働きのある天然ハーブ類のことをいいま す。ストレスに対処するホメオスタシス(恒常性・外的環境変化に対して内部環境を一定に保つ)を担う3つの要素、免疫機能、自律神経系、内分泌系のバランスを整えます。日本で身近なハーブでは天草や 霊芝、最近のスーパーフードブームで再注目のマカ、などに並び、高麗人参もその仲間です。


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まだまだ小さいオキシャンティのベィビートゥルシーたち。発芽し、成長している姿が愛おしい。


オキシャンティのスタジオでは、オーガニック・インディア社のトゥルシー茶を常時2種類そろえています。オリジナルと、私が個人的に一番好きなレモングラスとジンジャーのブレンド。それに加えて時々チャイ、ベリー系のフレイバーなども置いています。
オーガニック・インディアの設立者の一人であるプラシャンティ・ド・イェーガー(Prashanti de Jager)氏はヨーガ行者、ダンサー、そしてアーユルヴェーダ研究者ですが、彼のアダプトゲンと放射線に関しての興味深いコラムをサイトで読むことができます(英文はこちら)。

タイトルの「イオン化(電離)放射線のためのアダプトゲン」。イオン化放射線とは何でしょうか、難しい言葉ですね。
非イオン化放射線は低周波で日光にも含まれ、電子レンジや携帯電話からも出ています。直ちに悪影響を及ぼすことはありませんが、長期間それにさらされ続けるのは問題です。そういえば最近、「携帯電話の使用期限は10年」という記事を読みました。対してイオン化放射線はDNAを損傷し、そして活性酸素(ROS)になる、イオンを作ってしまうようです。

しかし大地からはラドン、空からは宇宙線、と私たちは放射線を浴び続けている、とプラシャンティ氏は言います。そしてDNA損傷は常に起こっており、その修復も同時に行われているのだ。内因性抗酸化、食物抗酸化、そしてハーブの助けによっても。さらに修復されなかったDNAを感知し、細胞は自然死(自殺)もする。

イオン化放射線は確かに気にするべきだが、私たちには自己治癒力・自己修復力というものが備わっている。DNA損傷に至るのは、日常の行いや心の在り方を含めていろいろな原因があり、放射線だけではない。
その放射能へのとてつもなく大きな恐怖、それをアーユルヴェーダでは「Adrishta/アドリシュタ」(見えざるもの)という。人々は未知のもの、暗闇、謎めいたもの、見えないもの、アドリシュタを恐れてしまうのだ。

  恐れや怒りといった、感情的ストレス
  タバコや農薬、栄養価の低い食物などによる、化学的ストレス
  過度の騒音などの、環境的ストレス

以上のDNA損傷に至る原因と、放射能による損傷に区別はない。よって放射能への過度の恐れと心配はそれ以上に有害になり得るのだ。事実放射線は環境ストレスであるから、まずはストレスの量をできるだけ減らし、抗ストレスハーブのアダプトゲンの助けを借りて環境に対応していく体をサポートしてゆこう。

トゥルシーと、身近なものではターメリックが良いようです。

このコラムは福島原発後、プラシャンティ氏が科学誌に発表した論文を元にしているようで、どこかで全文が読めないかと探してみたら、英文の原文と、伊藤武先生の全和訳がホーリー・バジルを推進している団体のサイトにありました。長いので、内容をざっと紹介しているのを読みたい方は伊藤先生のブログへ(こちら)


プラシャンティ氏は、人間の自己修復力は素晴らしく、放射能から守る力を与える疑いのないその能力を信じ、アドリシュタに惑わされないようにと説いています。沖縄には震災以来避難しに来ている人たちも多く、地元の学校周辺や飲食関係の間での揉め事なども耳にします。いろんな事情がある中で、それぞれの苦労や心痛があると思いますが、自ら望まないものを呼び込んでしまうような精神状態、アドリシュタに囚われるのを避けない手はありません。

恐怖、怒り、憎しみや悲しみといったネガティブで萎縮した心からは抜け出したい。Sensory Motor Amnesia (SMA)/感覚運動神経に起こる記憶障害、という体の状態を定義したボディ・セラピストのトーマス・ハンナは言っています。

"われわれが憎んだり怒ったりすれば必ず、生体も憎んだり怒ったりしている。われわれが愛し、望み、期待すれば必ず、〈生理的にも〉生き生きと、感動的に、愛し、望み、期待しているのだ。嫌悪・愛・希望は"心という空虚"に存在する"心理的状態"などではない。それらは、その生命体にくまなく存在する、肉体の状態なのである。"





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