大嶺實清さんのギャラリーに行きました。先日購入したお皿を何箇所かに送っていただいた際に、送料が解らないから立て替えて後日連絡します、とおっしゃったのですがいつまで待ってもご連絡がありません。そろそろお支払いをと、晴れた午前中にやちむんの里を訪れました。


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時間がゆっくり流れている沖縄でもここは特にゆったりしていると感じます。縁側に座って入れていただいたコーヒーを味わいながら、そう言えばこのところ最後にコーヒーを飲んだのもここだったと気がつきました。
渡米前ほとんど好き嫌いが無かった私が苦手だったものは、コーヒーとコーラです。友人の一人曰く、コーヒーは素晴らしい香りの、口にすると信じられないほど不味いもの。私もそう思っていましたが、NY暮らしでそのコーヒーが無くてはならないものになったのです。

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花をかたどった青いコーヒーカップ。前回来たときにこのカップを1年前に注文され、連絡が無いからと直接取りにいらしていた方がいました。

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まず最初に申し上げたいのは、NYで巷にあふれるコーヒーは一般的に美味ではありません。例えば同じくイタリア系移民が多いLA、サンフランシスコやオーストラリアのメルボルン、濃厚なジャマイカン・エスプレッソがスタンドで気軽に手に入るマイアミなどと比べると、NYはコーヒーが美味しいところではないと思います。スターバックスも日本の方が美味しいという意見も聞かれますが、デリや大学のカフェテリアに置いてあるのは茶色いお湯...?、といった感じで香りも味もほとんどありません。それでもハッピーなコーヒー・フリーク達は生息していて、とても美味しいコーヒーをサーブする所があります。先日ブログに書いたブルックリンのゴリラコーヒー やクーパーユニオンにいつも停まっているMUD のコーヒー・トラック。そこから1ブロック歩いたプエルトリコ・インポーティング ではオーガニックのブラジリアン・エスプレッソなど、南米の美味しいコーヒー豆がたくさん売られています。


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MUDのコーヒー・トラック。今年5月にNYに行った時も同じ場所に停まっていました。

大学在学中は毎年夏休みに東京に戻って来ていましたが、帰ってくると日本ではコーヒーを飲みませんでした。どうしてだろうかと思っていると、「あなたにとってコーヒーはストレスと共にあるんだね。」というご意見。なるほど、例えば東京では大好きな美味しい日本蕎麦が食べられ、毎日が日本語での生活。宿題の本を何冊も泣きながら読みペーパーを作成、ドローイングに写真の現像とプリント、ビデオを編集して膨大な量のアートヒストリーを暗記する、といった日常から解放されます。カルマによる条件付け、とまではいきませんが確かに夜中に宿題をしながら、濃く入れたコーヒーを何杯も飲みました。それでも眠くなるのに。卒業制作中の最後の年に、立ち上がることができなくなって日本人の医師が開業しているクリニックに駆け込んだ事があります。診察の前に書いた問診で一日に摂取するカフェイン、コーヒー、紅茶、緑茶の量を指摘され、これで何とかごまかし続けているんですよ、と言われました。
その後の学生生活から仕事を始めてからもコーヒーは日常的に生活の中に留まり、いつしか日本に戻った時にも飲むようになって自分はコーヒーが好きなのだと自覚していました。沖縄に移動してからも飲んでいましたが、最近はコーヒーを欲していなかったのです。

ご本人がお好きだという實清さんのギャラリーでいただいたコーヒーは、前回同様とても美味しかったです。私のストレスと共にあったコーヒー。共闘者でもあったコーヒーですが、これからは自分からあまり飲まないだろうと感じています。どうしても必要なものが減っていくのはとても清々しく、いろいろなものから自由になっていく感覚です。いらなくなってくるもの、それは物理的な存在でもあり、精神的な状態でもあったりするのですね。




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