定例瞑想WS、食事瞑想にご参加のみなさま、どうもありがとうございました。
いつもながら、みなさまそれぞれが深い気づきに遇われたようで、とても嬉しく思います。


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過去の経験を踏まえて今回はできるだけ快適に瞑想していただきたく、
ニューマット、ザブやヨガブランケットをご用意しました。


     口に入れた小豆の味が広がり、涙が溢れてきました。

     玄米が、お美味しい。

     こんなに食べることだけに集中した事はありません。
     たくさんの事を一度にするのがえらいのだと思っていた。
     急いで食事し、いろんな事を同時にやって、そして自分の心がどこにもないのです。


いつもご参加のみなさまの気づきにこころ打たれます。自分の噛み癖に気づいた、という面白い発見のご感想もありました。瞑想はいろいろなことを気づかせてくれる、命の栄養です。中庸モードを作るセロトニンも活性されて、みなさま終わってからのお顔が違いました。

今回は食事前の誘導瞑想の最後に、チベット密教のラマであるクリスティー・マクナリー師の「痛みと痛みの終わり/ドゥッゲー・ナパム・スム」をしました。人間は苦しむ生きものですが、そこから何とか自由になりたいと太古の昔から様々な方法を試みています。ヨーガもそのひとつ、なかなか容易にはできませんが 「手放してゆけ」、と教えます。
クリスティー・マクナリー師の「ドゥッゲー・ナパム・スム」はチベットの人々が考えるこの世の三つの苦しみを深く意識し、そこから自由になるのだと誓う決意表明のような瞑想です。実践して改めて感じたことは、誰もが最初に手放したいと思う痛みでさえ、人それぞれが手放してゆける時期があるのではということです。


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甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味と、五感のひとつである味覚を刺激するように考えてくださった今回の弘子先生のお料理。



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NYから戻ってくる時、私はおびただしい数の自分の持ち物を前にし、複雑でやや攻撃的な思いを抱きました。どれを持ち帰り、また捨てていくかの判断をする時間と余裕を確保できずにたくさんの荷物を持ち帰り、実はその多くを半年以上箱から出さずにいたのです。空けていないダンボールをそのまま沖縄に移動しましたが、開封するとNYでの最後のメス、乱雑な自分の空気が詰まっているのを見るのが嫌でまたころがしておいたり。いま書くとあれはただのサボり、逃避であったでしょうか。

それでも少しづつ持ち物は減ってきているのです。時間はかかりましたが、いろいろなものとの間に手放していけるタイミングが来たのだと思っています。

今日は満月、みなさまどうかクレイジーにお過ごしください。

ナマステ
ナミ



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