以前、個人的にサラッと好きな(笑)
齋藤聡子さんに実は、私の人生を書いてもらいました。
本当は、これは自分で書いたらいいんじゃないの?
思われるかと思いますが、
感情が入り過ぎること必須なので、
タイミング良く知り合いになったさとちゃんにお願いしました!
とっても上手なので、読み物として良品!
中身のモデルは無視して結構です!(笑)
回数は4回くらいかと。
では、スタート!
こころとカラダを根本からサポートする
ダイエットパーソナルトレーナー
~福冨よしこ~
あなたを知るには、
私をさらけ出さなきゃはじまらない!!
よしこさんの人生いろいろ①
ぜひお読みください♪
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古い記憶。
4歳か5歳ころ。
岐阜。
古い感じの赤いイスがある定食屋。
そこで焼肉定食かなにかを前に、母をひとり待つ私。
「食べて待ってて」と言われて。
お店の人に、「エライね」と、
声を掛けられています。
手続きか何かで
母に色々なところに連れられている様子。
父の記憶はないけれど、
母が大声を出されている光景は朧げに残っている。
再婚同士の両親のもと、岐阜で生まれた私。
母が大阪に逃げて、また連れ戻されて…
離婚という流れだった
…と思う。
(わかってると思うけど、抱っこされてるほうが私です。変な髪型w)
記憶も不確かな異父兄弟の兄に抱かれて。
母はいつも頑張っていた。
「よしこちゃん、お母さんのこと助けてあげてね。」
という大人からの声掛けは、幼い私の肩には重過ぎた。
私は“できる子”でした。
要領も良く、1言えば10出来る。
だから目立つ。
だから前出たい。
とにかく見てほしい。
出る杭は打たれ、
小1ですでにいじめられっ子。
泣き虫だったけど、なんで泣いてたのか思い出せない。
外で友達と遊ぶことはなく、学校が終わると
家でテレビやマンガ。
まんが日本昔話、ドリフ、クイズダービー、
(年代バレバレ…)
母は働き、おばあちゃんと一緒だったため
暴れん坊将軍、水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん…
歴代時代劇なら私に聞いて!ってくらい詳しいからね。
母とおばあちゃんは仲があまり良くなくて、
唯一の居場所である家の空気も微妙に辛い。
母は、おばあちゃんのことが大好きだったのにね。
そんな人生いろいろも感じ取っていたよしこさんです。
クールを装いながらも
父親参観が来るたびに暗雲が立ち込める。
お父さんがいない世界ってみんなにとってあり得ないことなんじゃないか
と思えた…。
表情も乏しくなっていき能面のようになっていった私。
(本当は嬉しかったんだよ!よくある、写真キライの時期=中二病とも…)
書道で賞をとったのに、喜びをあらわにしない…。
思春期に入ると、
お父さんと洗濯物一緒にされるの嫌だ~
とか、そんな同年代の愚痴が飛び交う中、
ふ~ん、そうなんや、
それってどんな感じなんやろう。
まぁ、嫌やろうなぁ。
とボンヤリ思ったり。
どうも馴染めない中学、高校生活。
まぁそこそこに過ごすうちに
進路の選択期。
大学に行く学力はあったものの
より早く働き始めたい気持ちから専門学校へと進み、
就職は貿易関係に決まった。
人材育成の観点から、高卒以外はとらない企業。
にもかかわらず、女性唯一の専門卒だった自分に優越感。
さらに私の優越感を満たしてくれたのが国家資格である。
“通関士”。
現役で通関業者に働きながらの資格取得はなかなか厳しく、
10年くらいかける人がほとんどだった。
それを、3~4年で取得。
課で紅一点の私、しかも若くしての快挙に社内の注目を浴びた。
多少のお金もあるし、遊べるし、のびのびな社会人生活。
副業で、コールセンターや飲食店で働いたり。
やることやってるから文句も言われない。
楽勝!とばかりに天狗の鼻は伸びるばかり。
ナメてました。
(本当はこの日まで会社。上司に無理言って休ませてもらう!)
そして、友人を通じての出逢い。
当時流行り始めたプリクラの私を見て
気に入ってもらったことがきっかけで付き合うようになった主人。
この主人のネームバリューが衝撃だった。
まさしく憧れの世界に住む人!!!
これが、
長く険しいオタク街道の始まりでした…
~続く~