どうも「の」です。
私がいつも読んでいるブログにこんな文章がありました。
自分の考え方次第で、環境だったり人間関係だったり(ポジティブに)いかようにでもなるんだなぁ。
斎藤一人さんはこう語っている。
『人生って、与えられた環境でしあわせになるゲームみたいなものなんです。
だから、相手を変えようとしちゃダメなの。
ポーカーでもなんでも、配られた手にいちいち文句を言ってたら勝てないんだよ。
この世に起きたことは、なんでも自分にとって得になるように考えるの。
自分にとって損なことって絶対、考えちゃダメなの。』(変な人の書いた世の中のしくみ/サンマーク出版)より
自分にとって得になるように考えるとは、「自分さえよければいい」という利己的な考えではない。
どんなことが起きても、それをポジティブに解釈できるということ。
嫌なことでも、考え方ひとつで、面白おかしくできるし、それをネタにもできる。
つまり、「自分の都合のいいように」考えることができる。
どんなときも…
ポジティブに考えることのできる人でありたい。
産婦人科医・医学博士、池川明氏は著書『ぼくが生まれてきたわけ』(KADOKAWA)の中でこう語っている。
『人はなぜ、生まれてくるのでしょうか?
これを子どもたちに聞くと、「人の役に立つため」、とりわけ「家族を幸せにするため」という答えが多いです。
臨死体験をされた方々の複数の証言によると、死後、閻魔様(えんまさま)の前で聞かれるのは、次の2つのことだけだとも言います。
1. 陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人の役に立ったか?)
2. 自分の人生を楽しんだか?
精進をするとは、まさに陰徳を積むということ。
人知れず、ひそかに行う徳を積む行為。
それは、「人に親切にする」「ゴミを拾う」「人知れず掃除をする」「人のために尽くす」等々の他に、「(どんなときも)愛語で話す」「いつも笑顔で接する」「人を許す」ということもある。
つまり、人の役にたつ生き方をすること。
まさに、それこそが精進だ。
そして、「自分の人生を楽しんだか」ということは、どんな困難なことが起きても、愚痴や泣き言、不平不満を言わず、不機嫌にならず、その中から楽しみを見出し、楽しんだか、ということ。
つまり、どんなことが起ころうと、いつも機嫌よくしているか、ということ。
これもまた、精進。
精進をもって自分の人生を全うする…
生きている限り精進する人でありたい。
それこそ、自分を見つめ直し「たった今から変わろう」と改心して、自分の意思で荊の道を進もうと決心した友人を思い出しました。
まさにこれから”陰徳”を積み、”精進”しようとしている瞬間に立ち会えたのです
これからの経験は絶対に無駄にはならない、紆余曲折しながらでもやり遂げた暁には人間的にも成長するでしょうし、人としての厚みがさらに増すことでしょう。
そしてその選択は正しかったんだと思える日がきっと来るはずです。
仮に寿命が尽きてあの世へ行く前に閻魔様に問われたら正々堂々と『はい』と答えて欲しいと思います