2日目(9月10日:土)
天気予報では台風13号の影響で「雨」の予報が出ていましたが
朝起きてびっくり!!
関東上陸がほぼ内定していた台風13号は消滅。
天気に期待が持てる状態にワクワク。
この日のメインは「夕張市石炭博物館」
■日本遺産「炭鉄港」
これは石炭博物館でよく見かけたワードです。
ココ「夕張市石炭博物館」では夕張がたどってきた歴史と石炭産業の関りが紹介されています。
良質の「石炭」を採掘。
輸送のために「鉄道」が網羅され
日本経済を支えた「鉄鋼」が繁栄。
さらに物流を支える「港湾」。
「炭鉄港(たんてつこう)」は、
近代北海道を築く基となった三都(空知・室蘭・小樽)を、
石炭・鉄鋼・港湾・鉄道というテーマで結ぶことにより、
人と知識の新たな動きを作り出そうとする取り組みです。
<「空知総合振興局HP」より引用>
わたし事ですが九州で数年間生活したことがあり、
「三池炭鉱」へも何度か出かけました。
なぜか虚しさが重なります。
(こちらは世界遺産「明治日本の産業革命遺産 」に登録されています。)
写真は三池炭鉱「万田坑」です。
「夕張炭鉱」にしても「三池炭鉱」にしても
明治期より危険と背中合わせに日本の近代化を支えてきましたが
「国策」エネルギー政策の転換も加わり
昭和35年頃から、石油の台頭により石炭産業は一気に衰退したようです。
下は「石炭博物館」で頂いたカードです。
石炭産業のパワーが伝わってきます。
そしてカード裏面(その60年後の同じ場所の光景とのこと)です。
石炭博物館の近くにあった『竪坑櫓』
繁栄時の象徴だと勝手に思っていましたが
テーマパーク「石炭の歴史村」の象徴だったシンボルタワーとのことです。
”全国最低の行政サービス”と”全国最高の市民負担”
石炭博物館で見かけたパネルに表示されていました。
「石炭産業から観光重視への転換に失敗。」が要因のようですが
遠因としての『国策転換』の厳しさも伺われます。
4年ほど前廃線となった『夕張駅』跡を訪ねました。
右側に大規模なホテルと温泉施設(ともに現在改装中だとか)
さらに写ってはいませんがその奥にはスキー場もあります。
いい場所だったんでしょうね。
夕張炭鉱の石炭輸送を目的に、北海道炭鉱鐵道会社が1829(明治25)年に
室蘭線から分岐する、追分・夕張間の夕張支線を敷設した時に開設した駅です。
当初は起点の追分駅、終点の旧夕張駅と中間駅として旧紅葉山駅の3駅だけでした。
その後夕張炭鉱の生産拡大により、石炭貨物の取扱駅では全国屈指の実績を誇っていました。
駅舎は1985(昭和60)年に現在の市民会館裏に移転しています。
その前年には簡易託化され、さらに1990(平成2)年にレースイスキー場前に移転し、
「SL夕張号」の運行なども行われましたが、
2019(平成31)年、JR夕張支線の廃止に伴い駅の歴史を閉じています。
<(一社)夕張観光プロモーションHPより引用>
夕張市石炭博物館では、掘削機などの稼働実演も見学することが出来ます。
個人的には実演後に説明員の方から教えて頂いた
「傾斜角20度程度」&「2本の坑道」など
夕張炭鉱の特徴や採掘方法に興味を持ちました。
下は説明頂いた模型です。
何のことかわからないと思いますので以下引用します。
おそらく説明員の方の指が示しているのが下の「ゲート抗」だと思います。
上の「冠坑道」と下の「ゲート坑道」との間を結んだ坑道が、
石炭を掘り出す「採炭切羽(きりは)」です。
炭層の傾斜(約20°)と同じ傾斜がついた坑道で、ドラムカッターによって炭層が切削され、
コンベアーによって石炭がゲート坑道へと運ばれて行きます。(下略)
<夕張市石炭博物館HPより引用>
現在工事中の「模擬坑道」が再開されたら伺いたい場所です。
四国からはなかなか、訪れる機会はないかと思いますが・・・・。