『年上、年下…。』

おはようございます。
今朝も、聖書を読んでいました。
ここ最近は、『エレミヤ書』を読んでいるんですが、エレミヤはその時代、若き預言者とも言われていました。神様の言葉を預かり、それを、イスラエルの人たちに伝える役目を果たしていました。
当時のイスラエルの長老・有力者達の中には、彼の意見に耳を方を傾ける人もいました。

新約聖書においては、イエス様には、12人の弟子がいました。
彼らの中にはおそらく、イエス様より幾らか、年上の弟子もいたかもしれません。
パリサイ人や律法学者(当時の宗教学者たち)からすれば、イエス様は若僧(わかぞう)でした。
宗教学者たちはイエス様の宣教とその活躍を快く思っていませんでした。
しかし、イエス様を支持する民衆は増え続けるのを見た宗教学者たちは妬みに燃え、後々イエス様を十字架へと追いやります。
彼らは、イエス様に次のようなことを言っていました。
「あなたは五十歳にもならないのにアブラハムを見たのか?!」
(詳細は新約聖書に記されています)

『先輩と後輩』
私自身、今、44歳。来年、45歳になります。
私が若かった頃は人生の先輩達に対し、尊敬する対象を分けていました。
今、この年齢になって人生の先輩の言っていたことについて、
(「あの人が言ってたことが正しかったんだなぁ…」)と反省する時があります。

その一方で、年下でも世の中で活躍している著名人を尊敬しています。
その場合、年上が年下を賞賛するのも価値のあることです。
何らかの専門分野において、年上が年下の先輩・上司に仕えたり、師事することも時には大切です。

ただ、時々、宗教学者たちがイエス様を妬んでいたことが記されていますが、今、彼らの気持ちが幾らか理解できるような気がします。
律法・神学などの専門分野について自分達よりもイエス様が先を行っている―その宗教学者たちは(「自分達こそ先輩だ!」)との思いが強く、それが妬みと怒りに変わって行きます。
この場合、正しかったのはイエス様の方だったんですが…。

話は変わりますが…
時々、年上の人たち相手におごり高ぶる―そういう態度をとったり上から目線になる若い人もいます。
年下や人生の後輩に対し、あまり、良い感情を持てないこともあります。その気持ちもわかります。
世の中で活躍している人に尊敬できることもあります。尊敬できないケースもあります。
(その辺については年上・年下は関係ありませんが…)

僕自身、色々な活動をしている中で、年上や年配の方達から持ち上げられることも増えました。

その一方で、(私は読書好きですが、)ビジネス書を読むことも多いですが、最近、僕より年下の著者が書いた本を読むことも少しずつ増えています。
本の最後のページに著者の略歴を見て、若い人たちの熱意や活躍に多くを学ばせていただいています。そこに素晴らしさを感じたりしています。

イエス様の弟子達も自分より年下のイエス様に対し、謙虚でした(もちろんイエス様より年下もいましたが)。

尊敬できる年下や、そうでない年下もいます。年上も同様です。
今、若い人たちも後々、その辺に対する複雑な気持ちを経験することも多いかと思います。
人生の先輩の声に耳と心を向けることも年下でも有益な情報を提供する人に訊くのも大切です。

職場で年下の上司に仕える事に感謝できたり出来なかったり―誰でも、その経験はあるでしょう(するでしょう)。
後から来た人に先を越される経験を誰もが持っていますが(僕もそうですが)、比較せず、比べることなく、僕は自分の道をマイペース(時にはハイペース)で歩んでいこうと思いつつ、感謝しながら日々を過ごしています。

(まぁ、言いたい事はまだまだありますが、今朝はこの辺で書くのを終わりたいと思います。)