僕のマンガが、少しずつ、ゆっくりゆっくり評価され始めていき、福祉関連の雑誌に用いられるようになってっから、母の考えも変わっていきました。


昔は、僕が漫画家になることに否定的だった母でしたが、今は、応援する側になってきてます。


と、同時に、僕が夢・目標に向かって、努力し続けていって、結果も出るようになり、そういった様子を見るようになって、母自身、反対し続ける事に疲れたような感じです。


昔は、母は、息子(僕)に大人になったら公務員かデスクワーカーになるのを願っていました。


僕は高2の時に心の病で入院してしまい、僕も母も家族も親戚も混乱していって、そうした闘いの中で、母は、息子の将来に望みを失った思いだったんでしょう。



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その後、病気になったことがきっかけで、教会に通い始めた僕は、信仰と教会の人達と周りの人達に支えられていって、『自分』を取り戻して行きました。


病による戦いは続きました。



―『統合失調症』―

高校に復学するも、この病による極度の体調悪化・体調不良、薬の副作用による耐え難い体調不良、そして無気力状態が続き、勉強・学業への意欲も失い、マンガも描けなくなり、ピアノも弾けなくなりました(小2~中3までピアノ教室に通っていました)。


主治医による薬の調整(変薬)や治療により、症状による苦しみも和らぎ始めて行きました。


しかし、全ての事に対して興味や意欲を失った状態はずっと続きました。


高卒後、社会に出て、親戚の情けで土方や大工などの仕事(建設現場での仕事)をさせていただくようになり、その後、色々な仕事を経験しました。


土方を7ヶ月、大工を約1年間、園芸(農業)を6年間、リネンのランドリーを3年半、ホワイト急便で5年と9ヶ月、その後、しばらく失保を受給しました。


現在は、あらた舎に通所中です。


ホワイト急便で働いてた時に講談社フェーマススクールズを受講しました。


その後、病を抱えながら絵やイラストやマンガを描き続け、現在は、福祉関連雑誌で隔月で連載マンガを描かせて頂いています。




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沖縄市の福祉関連のイベントでも僕の絵が用いられています。


上の2枚の写真は沖縄市の福祉のイベントの手作りポスターです。


福祉関連分野で用いられたり、また、時々、教会関係のパンフやキリスト教関連の雑誌・新聞で用いられています。


今後、自分の賜物が活かせる範囲を広げていきたく思います。