久しぶりにブログを更新します。
今回の漫画の内容は、2002年、講談社フェーマススクールズを受講し始めて間もない頃の話です。
講談社フェーマススクールズは通信講座以外にも、東京だけでなく、地方でも時々、スクーリングをしています。
沖縄でのスクーリングは、2ヵ年に1回、催されます。
僕にとっての初めてのスクーリングは那覇でした。
講談社フェーマススクールズ(以降、『KFS』)の受講生は女性が多いです。
男性は数名くらいです。
初めての参加のとき(2002年)は、男は自分を含めて2人だけでした。
その他の受講生はみんな、女性ばかりでした。
このとき、(沖縄の)女性の受講生は30人近くいました。
初参加で、少し、緊張したのを覚えています。
この日は、水彩画を学びました。
水彩画は透明水彩と不透明水彩の2種類がありますが、このスクーリングでは透明水彩画(透明水彩絵の具)を使って絵を描く事を学びました。
果物や野菜の模型を描いてました。
講師の先生の説明を聞いて描いてました。
スクーリングの後で、自由作品を講師の先生に見ていただき講評していただく時間も設けられていました。
『自由作品の講評』
皆、それぞれ、普段、描いてる作品を先生に見てもらっていました。
一人一人、自分の描いた油絵やイラスト、スケッチブック、先生に見せて、先生がその、それぞれの作品に目を通して下さり、評価やアドバイスを与えてくれていました。
みんな、僕より、上手くてビックリしました。
自分は身の程知らずだったと感じました。
僕も、普段描いてるスケッチブックを見せたんですが、上記の漫画のように色々、きつい事を言われました。
普段は周りの人達から褒められているスケッチブックの絵…KFSの先生から見れば、酷評に近いくらいの印象だったみたいです。
色々厳しい事を言われて、打ち砕かれた気分になりました。
さすがに凹みましたね。
先生に言われた時には、ムカつきましたが、今、思うと、必要な経験だったと思ってます。
スクーリングが終わって家に帰りました。
その後も、その日以降も、絵を描いて描いて描きまくりました。
イラストを描き始めて、その後、漫画も描くようになり、教会の友達からの依頼で、漫画を描いて、教会の掲示板に貼らせて頂いていました(2002年~2006年頃まで奉仕で描いていました)。
その原稿に、今、目を通すと、自分の事ながら(「こんな下手くそな漫画を描いてたんだなぁ…」)と思います。
自分の生活ばかりをマンガに描いてて、そのうち、福祉関連の月刊誌『ぜんかれん』に投稿し始めていって、採用されて、掲載されるようになりました。
年に4,5回のペースで『ぜんかれん』に自作の8コマ漫画が掲載されていました。
その後、パソコンを友達から安く譲り受けて、ネットにも繋いで、漫画やイラストをネットで発表するようになりました。
複合機を買う前は、自作のイラストをケータイで撮って、ブログにアップしていました。
その時は、『ちむ友のイラストライフ』というブログを開設しました(今はそのブログはありません。閉じました)。
複合機を買ってから、自作の漫画もブログにアップし始めました。
それを自分の初めて開設した漫画ブログ『しゃろんの息子のコミック』にて発表していました。
『しゃろんの息子のコミック』
http://blogs.yahoo.co.jp/wkbdd051
そのうち、ミクシィやピクシブやマンガ市場と言ったサイトにも自分の漫画を投稿・発表する様になりました。
ノンフィクション(自分の日々の生活)以外にも、フィクションの漫画作品(『はんどすぴーく』)を描き始めました。
『はんどすぴーく』を上記のブログやピクシブでも、発表して、それを、KFSの先生にも(郵送して)講評していただきました。
描いた作品の多くをKFSに郵送して、そのインストラクターの先生に講評していただいて言って、そうしながら、自分の賜物を磨いていきました。
そういうことを繰り返しました。
2007年から、心の病に関する雑誌『こころの元気+(プラス)』に漫画を描いています。
KFSは2002年に受講を開始して、2005年に卒業したのですが、卒業後も毎年、年会費を払って、PK会員(パレットK会員/在籍会員)として同スクールでの勉強を継続しています。
漫画家として、ご飯を食べて生きたいとの気持ちが強い自分にとって、KFSでの勉強は必要なので、PK会員という立場にいることを幸せに思っています。
KFS(講談社フェーマススクールズ)に在籍するというカタチで講談社と関わりを持ち続けていくことは、一種のブランドだと思ってます。
少し、驕りになりましたが、へりくだる事を心がけながら(足元をすくわれない様に気をつけながら)、KFSでの勉強を続けていきたく思います。
遅咲きでもいいので、無理しない程度に夢に向かって頑張ります。