新たな視点を加えて
改めて自己紹介をしています♡
前回はこちら↓↓↓
東京出身の夫婦が転勤で群馬県へ
そこから夫は沖縄へ単身赴任
私と子ども達は都内にある夫の実家へ
群馬にいた頃のリーマンショックの影響は
まだ残っていて
暮らしは楽ではありませんでした
本来ならば私もフルタイムで
働くべきところでしたが
母が病気だったことや
働いている義母の好意で
ほぼ居候として義実家に
住まわせてもらっていました。
子ども達はおじいちゃんおばあちゃんに
沢山遊んでもらい、とても楽しく
暮らしていたのですが…
病気だった母が亡くなり
義父まで同じ病気になって亡くなり
と大きな出来事もありました。
義母と子ども達での生活は
平和すぎるほど楽しく幸せでしたが、
このままでいいのかなと思うことも。
母親が2人いるような暮らしが
息子達にとって本当にいいのか…
と思ったのです。
夫の転勤は数年と聞いていたのですが
一向に戻る気配はなく、私は1年くらい
どうしようかと悩み続けました。
休みの度に何度も何度も
行っていた沖縄でしたが
引越すにはあまりにも遠く感じたのです。
うじうじ悩み苦しむ日が続きましたが
冬休みに訪れた際に、夫が暮らしていた
アパートのすぐ近くに
マンションを建てていたのを見つけ
東京へ戻ってから気になって調べたものの
情報はさっぱりない
やけになって何時間もPCで調べていたら
小さな不動産屋さんのHPで
ようやく情報を見つけたのです。
そこには
「部屋から海が見えます」との言葉
間取りが変わっていて家賃も手頃♪
即その不動産屋さんへ電話したら
海の見える部屋は1部屋だけ
空いているとのことでした。
そのまま押さえて夫がすぐに手続きへ。
丁度完成が4月だったので
沖縄への引越しを決めたのです!!
この決断を後押ししてくれたのは父でした。
義母には反対されていたのですが、父からは
「家族みんなで暮らすのが一番だよ」
と言われ何より嬉しかったのを覚えています
子ども達に伝えた時は
泣かれてしまいましたが…
決断した私の心はとても前向きだったので
その後はとてもスムーズでした!
さらに父との電話の翌日以降
不思議な素晴らしい出来事が
いくつも起こったので
沖縄へ行く決断は間違いないんだ
と興奮したことも覚えています。
毎度引越す度に友達との約束が
沢山で荷造りまで手が回らない私
沖縄へ経つ日もほとんど寝ないで
準備したのにそれでもバタバタでした
身内に見送られて飛行機に乗り
ワクワクした気持ちで沖縄へ到着!
ところがそこで痛烈な出来事が…
夜到着して那覇空港からモノレールに乗り
大荷物を抱えて歩いていたところ
信号無視した車が横断歩道に突っ込んできて
私達よりも一歩早く踏み出した次男は
ぶつかる間一髪のところで
長男に助けられました。
今思い出しても震えるほどです。
当時小学一年生だった次男。
歩く時はいつも私か
長男と手を繋いでいたのですが
その時に限って手を繋いでいなかったのです。
荷物だらけの私は何も出来ず…
スローモーションのような出来事でした。
咄嗟に次男を助けてくれた長男には
感謝の気持ちで一杯
今思い出しても涙が出ます…。
それまで長男には
何かと口やかましく言ってきた私ですが
その日を境に
「生きていてくれればそれでいい」
と多くを望まず穏やかに
見守れるようになりました。
毎日穏やかな私でいられるのは
子ども達のお陰だといつも思っています。
沖縄へ思い切って来なければ
こんな思いすら
抱けなかったかもしれません。
そういう意味では
沖縄へ導いてくれた夫にも
とても感謝しています。
この引越しは会社都合ではないので
全額自己負担でした。
でもお金では手に入れられないものを
手に出来たので、その費用について
惜しいとは全く思っていません!
今回は結構真面目な内容でしたね
手作り雑貨を作るサークルやテニスなど色々楽しんでいた時期でした♪
…続く!!
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