事実も小説も貴なり | okinawan-spiritのブログ

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事実は
小説より
奇なり
というが
事実も
小説もなり

と感じた
ブログを拝見したので

直近の
拙ブログの
抜粋引用と共に
リブログさせていただく

過去記事「劣化コピー」引用① ↓

今野敏『虎の道 龍の門 壱』
P179
(略)うちの(フルコン)会派から独立した者は多い。

その連中の中には古流の型を、一切やらない者もいる。(略)
(略)

「だがな一方でうちから独立した先輩の中には、夢中で型をやり始めた人もいる。


そこで俺はわからなくなったんだ。


俺も悩んでいたというわけだ。




過去記事「劣化コピー」引用② ↓


今野敏『孤拳伝 春秋篇』 

P160

「あんたたちは、型だけをやっているわけではないということか?


「当然だ。

ときには防具をつけ、竹刀を持って打ち合う。


したたかに打ち合ったのちでないと、型の意味はわからない。」



リブログ ①
リブログ②

過去記事「空手リテラシー」引用↓

型にしても
組手にしても
付け焼き刃
では
自分も相手も

色々な意味で
怪我を
してしまう
させてしまう

常に
原点に
還らねばと
改めて考える
引用終わり



孫に



なにを
どう伝えて
行けば良いかと
思い悩んでいると


まるで
那覇の裏通り
迷い込んでしまい

すーじぐゎあ
進むべき方向を見失ってしまった
かの如き感覚に陥ってしまうことが多い


そして

すーじぐゎあ
には必ず
マジムン
が潜んでいる

マジムンに
取り憑かれて


なって
しまっては
まさに本末転倒

稽古も
学校の勉強も
毎日が
上書き保存の
永遠の
繰り返し


マジムン
退散!