拙ブログを
リブログして
いただいたのだが
その中で
「型を中心に稽古する」
のと
「型だけを稽古する」
のとは
違います。
という箇所で
あぁ自分が
言いたかったことは
こんな少ない言葉で表現できるのか
と
眼から鱗が
ドサドサと音を立てて落ちた
自らの
リテラシー
の無さを痛感した
wikipedia 引用
リテラシー
原義では「読解記述力」を指し、転じて
現代では
「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」
という意味
情報がある形で提示されるに至った経緯や、
発信者が隠そうとしている意図や目的まで批判的に見抜く能力
で
改めて
自分の数年の
過去ブログを読み返す
案外
面白い(笑)
「持っていない」
が
けっして
「盛っていない」
し
「語っている」
が
「騙っていない」
誰に読まれても
言行不一致と批判指摘
されてしまうようなブレはない
他流の
批判中傷や
同門他者を見下す
読み返されては不都合な
過去記事を閉鎖してしまう必要もない
と
ひと安心を
したところで
更に考えたのだが
空手は
型にしても
組手にしても
リテラシー
文章に限らぬ
分析復元検証能力
(by okinawan-spirit)
が最も
求められる
ものなのではないだろうか
また
リブログを
させていただく ↓
型にしても
組手にしても
付け焼き刃
では
自分も相手も
色々な意味で
怪我を
してしまう
常に
原点に
還らねばと
改めて考える