高校野球から母校回想 | ヤマカン103のブログ

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夏の甲子園の熱戦を節電の折ラジオで聞いています

出場校のお国自慢など考えるのは楽しいです。熱中症など甲子園もドームにしないと

 

1978年わが母校が夏の甲子園に初出場 PL学園はこの年初優勝

アサヒグラフ甲子園特大増刊号をコピー 捕手は日川

選抜には1回出場していました、夏の甲子園にはその後5回出場しています

 

高校野球が強いと入学生が増えるので、山梨県は山梨学院、東海大甲府などが強くなってきています。今では公立の普通科は出場は珍しくなりました

堀内投手がいた甲府商業が常連校の時代でした

 

高校野球春の選抜は毎日新聞、夏は朝日新聞

1978年の時、卒業生には請求書、聖徳太子を寄付

8000万ほど集まり残金で、ラグビー・サッカー・野球共用のグランドでしたが野球専用のグラウンドを買うことが出来ました

朝日新聞は出場校に120万円程の手当てを出します

 

2010年の母校出場の時はツィートしました

山本勘助@yamacan(私のハンドルネーム)

30年ぶりに甲子園に出場した母校が負けました。負け惜しみではないけど進学校で、県立だとハンディがありますね。49チーム出場なので48チームが負けます。今大会の全試合数は48試合です。

なんでか~わかりますか?1校が優勝残り48チームの負け試合数です

 

応用問題:第104回全国高校野球選手権地方大会の参加チーム数は3547チームだった全国の総試合数は 3547-49=3498

 

山梨県立日川(ひかわ)高等学校

校章、質実剛毅が教育方針 校舎

HPを初めて見たら驚きました

 

高校に入学した年に全員の楽器を購入し記念撮影

半分は1年生、スーザーホーンは買えなかった。3年間退部した人はほとんどいませんでした 県予選の野球の応援にはすべて行きました

昭和25年(1950)男女共学制を実施し女子生徒もいましたがブラバンは女性入部拒否  坊主頭に学帽 5分刈り以上になると朝礼の時5厘のバリカンで1本筋を入れられます 今だとパワハラで大問題

 

その後吹奏楽部は関東地区のコンクールなどの常連

HPの中の映像(応援練習風景)では女性のほうが多い(姪がフリュートを吹いていた)

応援団は歴代団長が譲り受ける学帽、学ラン姿の応援団は絶滅危惧種

 

現在、制服は学ランではないんだ

高校では珍しい学生食堂があります、私は小・中・高と給食の経験がありません

 

卒業生を1人だけ紹介します 林真理子

第94回直木賞を受賞、日本大学理事長

何年後輩になるのか?駅の近くの本屋の娘でした

 

芥川賞の「芥川龍之介」は有名ですが、直木賞は「直木五十六」読んだことはありますか?
 

少子化で生徒数は半数位になっているようです、まだまだ多くの思い出がありますが今回はこの辺で失礼します