気持ちを押し殺し
ココロの悲鳴を無視するえーん


最初は辛かったけど、

段々とそれが私にとって

『楽』なような気がしてきました照れ


だって、揉めなくてすむし

余計な力を使わなくすむし

私を悪くいう人もいない✨✨

自分自身がイラつくこともないし

どーっしても嫌なこと、つらいことがあれば

1人部屋で泣けばいい


そうやっていくうちに、私はいつしか

『悩みがほんと無さそうだよねー』と

言われるようになり

その言葉に『快感』さえ

覚えてしまうようになりましニヤリ


でも気づいてなかったたんです

その時には。。私にはあることが『欠けてる』と

今日は以前から行きたかった
代々木上原のフニクラに行ってまいりました〜!

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1318/A131811/13147435/top_amp/%3Fusqp%3Dmq331AQQKAGYAbKN4MSj5IS2ZbABIA%253D%253D


ワインは豊富で、ピザもパスタもと欲張っちゃいました 😙
ずーっと自粛してたので、久々の外食。
量が多いかな?と、思いつつも…
あっという間に完食!
チーズも濃厚で、全ての味に深みがありました🍝オードブルも、辛味があったりでこれがまたワインに合う!


駅から30秒程で、さすが上原!
って言うようなオシャレなお店でした。

また、行ってみたいお店の1つです☆

じゃあ、意見を何も言えない陰に隠れていた子供だった?誰かの後ろにずっといるような子供だった?
答えは『NO』滝汗でした。

私は、学級委員長や部長をするようなタイプでした。自ら手をあげてするタイプではなかったけれど、頼まれた以上は責任を持って取り組むタイプでした。
そこに「よし!がんばるぞ!私が引っ張っていく」と言う意志はなく「みんなが困ってるから、引き受けるか」ぐらいな感じでしたゲロー


何より…「ありがとう、やっぱりりん子だよね」と言われるのが嬉しかったし、そこに自分の存在価値を見出していました。

けど、思春期の学生をまとめるのは大変だったし、私がやることに周りは何より慣れていたので、時としてキツい言葉をかけてきました。

(10代のあるあるです)

そして、定着しているある言葉が、私の頭からおりてきます。

「私が、我慢すれば丸くおさまる」


でも、ココロが叫んでたこと。

「みんな、勝手なこと言わないでー笑い泣き


口に出すこと、相談することはなく

こうやって自分の想いに漬物石で蓋をし、

問題はクリアになったと、

勘違いしている虚無の現実をどんどん積み重ねていくのです。


何も決まっていない中の選択は
自由であり、本来であれば幸せなことだと思いますルンルンキラキラ

でも、今でも多くの選択が余計に悩むことも私はありえると思います。
強い意志と、決断力のある「子供」であればそうじゃないかもしれない。私は、そんな子供はごく一部であって多くの子供達は悩み葛藤していく。
それが「思春期」と呼ばれるものであると思います。その中で、道標、ヒントとなる物があれば、そしてその悩みさえも「正常である」と自覚出来れば、、もやもや

きっと、自由にワクワクしながら道を切り開けて行けると思いますニコニコ

私は偏ってました。
悩むことも、決められてない中での自己選択が、「本当にこれでいいのかな。」「これを決めたら周りはどう思うかな。」と。自分が「どう感じるか」より他者が「どう思うか」が、中心な自己肯定感が低い子供になっていったのですアセアセガーン

遅くなりましたが…

明けましておめでとうございます🎉✨
今更感、プンプンですが 笑

年は明けましたが、なんだかいつも同じ話題で
ニュースが埋め尽くされてます💦
確かに必要、大切なニュースなのですが
どーしても日本は暗くなりやすいですよね。


「で、どーしたらいいの?みんな言ってることがバラバラだから指標が欲しい!」
これじゃ迷走間違いなし。

でも、きっと当の本人達も手探りだし
慎重になってるんだろうなって思いますえーん

なので、わたしは自分、他人を守りつつ
世の中の情報に揺さぶられすぎずで、「今」
出来ること、逆に「今しか」出来ない事に集中してこの丑年を過ごしたいと思います。

                  りん子

写真は、香港の友人から送られてきた物♡


https://okigarusoudan-cafe.com/

私が、悩んできた時に「こんな感じの話場があればいいなぁ」と、思ったのがきっかけで、立ち上げました 😁

それでも、立ち上げることに二の足を踏んでました。そんな私の背中を押したのはセラピストととして関わってた患者様、悩み事の相談にのってた友人達の「ことば」でした。

「先生なら、緊張しない」
「病気になってよかった。
 先生に会えたから」
「あなたと話してると、前向きになれる」
「こういう場を、提供して欲しい」等々。

どれも、私にとってはありがたいことばでした。私は、心理系に関わる仕事ではありますが「メイン」ではありません。
違う専門分野でのセラピストです。

日常生活において、身体面の健康はもちろん「心の健康」も大事です。

※うまく話せないし…
※なんで、悩んでるかわからないし…
※言ったとこで、解決しない…
※知っている人には話したくない…
※コロナで気分が落ち込ちこむ…

といった些細なことから、恋愛、仕事、家族間の問題等、お受けしココロが軽くなるサポートが出来ればいいなと思います。

ただ、過ごしていくうちに1つだけ解決出来ないことが出てきました。

「自分で意思決定すること」

私の両親は、比較的教育熱心で塾やら習い事をさせてくれました。どれも私の性にあってたみたいで、メキメキと上達してきました ✨✨

が、家庭機能が不全期に入り、私は放置され、私は何をしていいのかわからなくなりました。
心の中で「誰か私に何をしたらいいのか、何をしたら安心なのか教えて。決めてくれたら、頑張るから」

と、心の中で叫びました。

心の中で。

私は、自由でいることが怖かったのです。

その頃から私の心は曇っていたのです。

自信の塊はどこから生まれたか?
それは、子供の頃の環境が大きく影響していると思います。

成績もそこまで悪くなく、学級委員、部長等をこなし。イジメッ子を倍返しするタイプ。でも、本当はすごく寂しがり屋 えーん


兄達とは歳が離れ、私が小学生の頃には既に2人は県外に進学。それに伴い、母の病気が重なり仕事で多忙な父はアップアップ。学費、母の入院で身体にムチを打ち働きまくってましたびっくり


私は、家に1人でポツンと居ることも増え。

洋服を買うのも、お弁当を作るのも自分でしていくことも増えました。でも、この状況に対し「みんな大変なんだから頑張らなくちゃ」と、自分自身を奮いたたせてましたスライム


でも、本当は寂しかった。 

誰かに一緒に居て欲しかった。


そしてその寂しさを乗り越え、自分自分で楽しみをみつけたことが、後の「自信ありまくりの私」を作り上げたのだと思います。


でも、乗り越えたんじゃなく

その時は自分の気持ちに蓋をして、

漬物石で外れないようにしてだけなんだな。

きっと。


私が単身赴任で上京したのは、30超えてから。
住んだことはなかったけど、友人もいたし
父によく東京に連れてきてもらってたので、
馴染みはありました 🗼✨✨
そんな父が、お気に入りのホテル
「ホテル ニューオータニ」
なぜ、気に入ってるのか聞いたところ、
「ここに泊まりだしてから、仕事がうまくいき、給与があがった」とのこと。

私の父は、スピリチュアル、パワースポットには全く無知です アセアセ

上京して、1人でラウンジでお茶したり日本庭園を散策すると…なんというか、私は気分が浄化されやる気が出てきます。流れてる気というか、赤坂の土地のパワーというか、何よりステイしてるお客さんの士気の高さを感じますおねがい

日本庭園は入場料無理なのも、魅力の1つ✨✨
また、年内に行ってパワーもらってきます♪


若い頃のわたし
悩みを打ち明けるるのは、苦手だったけど何より自分の精神力には自信がありました😁

イヤなことがあれば、自分なりの対処法を知ってました。映画を見たり、海を見に行ったり。友人となにげないおしゃべりを気分変えたり ☕️
よく人から言われたのは、「前向きな人」「よく笑う人」
そして、そんな事を言われるのが嬉しかったし「自分大好き人間❤️」

もちろんそれなりに悩みはあったけど、自分の精神力でどうにかなると思ってました。PTSDになるまでは…