問題論文「昼の神様・夜の神様」 「夜の神様」の存在証明 ②
遂に、神様は「天地創造」に着手することになります。
ここに、未だかつて考えたことも無かった、実に創世記の第一章 天地創造の一日目は 「天と地」の創造と「昼の神様 夜の神様」、「光」と「闇」の二人の神様を創るという、神様の大改造作業だった、という話です。
それでは詳しく見てみましょう。
創世記 第1章
01:1はじめに神は天と地とを創造された。 1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
私の大好きな「創世記」の冒頭です。
この部分が、イワユル創世神話に当たるのですが、世界の他の神話と比較すると、余りにも簡潔すぎてなにか俳句のようです。他の神話ではある程度の物語となっています。しかし、実はこの短い文章の行間に恐るべき事実が隠されているのです。
この部分にこんな意味があったとは、考えたこともありませんでした。
普通はこの三節の「光あれ」を宇宙誕生の大爆発ビックバンであると解釈するのが定説のようですが、私も今まで「光あれ」をそのように考えていました。
まあ~大体において、私自身が創世神話など殆ど価値を認めていませんでした。
私の「天地創造の時代図」では先ず最初に 神様の構想時代があり、その後に実際の創造が始まります。
実体世界の創造は、最初に霊界の創造、次に天使界の創造、そして次が地上界の創造です。地上界創造の始め、ここが科学的にはビックバンとなります。ビックバンを光の爆発と見るのです。ところが、この度の「昼の神様・夜の神様」という課題に取り組む時に、この部分がとてつもなく重要な意味を持つのです。
この一日目とされた部分をよく見てみると「光あれ」の内容は宇宙の出発のビックバンのことではありません。
この部分は、天地創造の一日目なのですが、この短い文の中に怖ろしい事実が書いてあるのです。
神様が先ず初めにしたことは「天と地」の創造と「昼と夜の神様」の創造だと書いてあるのです。その事実を悟られないように、尚且つ正確に書き残してあったのです。
創世記第一章一節、天地創造の一日目、そこには正に秘密の「天地創造」の作業をピッタリと開始から順番に記録しているのです。
以下は、私に与えられたインスピレーションです。どんどんと膨らんでしまいました。
一節づつ、解説してゆきます。
< 創世記> 第一章
第一節 新しい「天と地の創造」そして神様の引っ越し
01:1はじめに神は天と地とを創造された。
「はじめに」とは、構想が固まり、創造に着手し、「はじめに」したこと、です。はじめにした事それが「天と地」の創造だと書いてあります。これはどういうことでしょうか? いきなり「天と地を創った」と書いてあります。
地とは、その如く「地上界」のことですが、これをそのまま解釈するとビックバンである「光あれ」の前に「天」?霊界?と地上界が創造されていた、ということになってしまいます。「光あれ」は3節ですので実際に実体世界の創造が始まるのはその後ということになります。これで「光あれ」がビックバンのことで無い事が分かります。
この物語を組み立てるに当たり、最初はこの「天と地の創造」の意味が良く分かりませんでした。
ただ、「地」はこの度の大事業・神様の分離・分ける為の場所として使うことは分かっていました。
しかし「天」が分かりませんでした。
「天」とは何か、これは霊界(天国)ではありません。
それでも徐々に見えて来ました。分かりました。答えは明確です。
「天にまします我らの父よ」、とありますように「天」とは神様の「まします」所なのです。所在地、住処、存在する場所であり、いわばひとつの空間と言えます。この「天」は神様によって創造された被造物だ、というのです。「はじめに」神様の住まわれる場所まで新たに創られた、ということなのです。新居ですね。
「天」の重要性
神様を呼ぶときは必ず「天のお父様」「天の」を付けます。「天」におられる、と強調されます。それほどにこの「天」という場所が重要なのです。
なんと、神様の「はじめ」の仕事は、ご自分の入る場所を創造したのです。霊界のことではありません。
次に「地」とは
これは、現在の「霊界」に対する「地上界」のことではありません。
「天」が神様の入られる場所であり、「地」は被造物が存在する場所なのです。
この時点では「地」とは、被造世界の建設予定地のような広大な空間が実体世界創造の為に創造されました。
ここに天地創造二日目以降に霊界と地上界が創られ、そこに天使が、そして地上界の創造がなされ、アダム・エバが産まれ、人類が造られていきます。そして霊界の天国も、この「地」に創られます。
しかしこの場所「地」を最初に使うのは、上で説明した「昼の神様 夜の神様」を分けるための最初の仕事、この怖ろしい本番「神様の解体」がここでなされるのです。
神様が「はじめに」にしたことは「天と地」という新しい二つの壮大な空間を創造されました。
「天地の創造」は 神様の「変態」
この度、この「天と地」の創造が、実に恐るべき意味を持つことが見えてきました。しかし、こちらも意味が深くて、「昼の神様・夜の神様」の話が霞んでしまいますので、この件はまた別の機会にすることとして詳しい内容は削除しました。
結論から申せば、創世以前の単身時代の神様と創世の以降の神様では異次元的な存在形態の変更が為された、ということです。
創世以前には「天」というものはありませんでした。存在するものは唯一「神」自体だけでした。「神」が存在するための特別な空間は必要なかったようなのです。無限に巨大な「神」自身の中で永遠の昔から孤独単身で存在していたのです。前述したように「他体」が一切なかったのです。創世神話は“「鶏卵」のようであり中身はドロドロである。”と言う。
ところが、次の世界は孤独単身の時代から、超多体超多体の世界に変わってゆくのです。
そして、神様自身が、上で「天」が神様の住む場所だ、と言いましたが、平たく言えば、新しい巣を作って、そこに引っ越しするのです。
新世界「天と地」の基本システムを創造
「はじめに」“ウインドウズ ”基本ソフトのようなものを作らなければ動きません。それが「天地」新システムです。これで全体が最後まで全て決定します。高性能のものを作らないと後で苦労します。
多分、このシステムは“バージョンアップ”は出来ないと考えられます。動きだしたらもう止まりません。
このシステムには、地上界と霊界の原理、天界の原理と法則、それらが既に出発の時点で書き込まれて定まっているはずです。創造された「天と地」に完全に組み込まれているのです。
次は、創世記一章一節と二節の行間の書かれていない話です。
神様は「天地」新システムの起動スイッチを押しました。「起動」動きだしました。
神様の眼前には創造された壮大な「天と地」が広がっています。
いよいよ一番目の工程に取り掛かります。
それは、単身時代の神様の、新「天地」への 移し替え、移動、引っ越しであり、神様の主成分を完全に「天地」時代の存在物に転換してしまう、という大仕事です。正直言って 創造の域を越えています。人間の頭脳では理解不能なのだと思います。
「殻の神様」の誕生
これから、正しく「無明」無形の神様の本体を一度、実体として取り出して有形化して「新しい天地」に移して認識可能な被造物化するという作業になります。
元の神様が「天地の創造」の次になされたことは、この作業を最後まで実行する為に行政執行の執行官のような役割をする「神様の殻から」のようなもう一人の独立した神様を神様は自身の体の中から引っ張り出されました。アメーバーの増殖、無性生殖のようです。
いかに神様といえども自分自身でご自分の体を切り裂く、という作業は出来なかったようです。この一連の作業を実行する為に、完全に分立、独立した「第二の神様」が登場します。
「はじめ」に創られた「天」に最初に入るのは、この分離した「殻の神様」でした。
ただし、この神様は実体のない正しく「殻」のような存在です。しかし既に一つの人格を持っているようです。
「天」には複数の「神」が存在できる、というのが新「天地システム」なのです。
「移動」作業の開始
元の神様は事前に「天と地」を創造し、次に「殻の神様」を創って準備を終え、巨大な体を横たえて身を委ねました。
いよいよ作業開始です。次に、「殻の神様」が操作して無形にして巨大無限の単身神様に麻酔注射をして眠らせてしまいました。既に意識はありません。
次に無形にして混沌状態の神様の身体中身をバキューム車のように全部抜き取って、実体化転換という化学プラント工場で化学変化のような作業をして新しく創造された「地」に流し込むように移してしまいました。「地」が新しい神様の実体で一杯になりました。
この時に神様の構成成分を新「天地」の要素に転換したのです。これでやっと形なく混沌ではありますが見えるような状態にしました。
神様がどれ程に巨大でしょうか。そんな無限に大きな神様でも収容できるのが「地」だったのです。
この時点で「地」に移された神様は麻酔をかけられ、昏睡状態となっています。そして元の混沌の神様は完全に無くなってしまいました。もう元には戻りません。
結果として「地」には麻酔を掛けられて昏睡状態となった巨大な無形の神様が「地」を満たして横たわっているのです。そしてそれを「天」の執行官のような神、名前が無いので「抜殻」と名付けましたが、「殻の神様」が見守っているのです。
第二節 創世以前の神様の様相
1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
第二節は「地」に移された神様の様相の説明になっています。上で説明したように、この「地」とは現在の地上界のことではありません。前節の「地」を満たす神様のことを言っているです。
ここに書かれた「地」の様相というものは、そのまま神様の単身時代、元始の姿を見える様にした姿となっています。
「地」に移されただけで、外的には元の状態のままのようです。
「形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」これが新天新地の創世以前の無限に続く単身時代の神様の姿であったと証言しているのです。
この場面を想像して見れば怖ろしい暗黒の沼地が見えてきます。その沼の上に神様の霊が漂っている、ホラー映画、
これが独身時代の神様を形に表した姿だと創世記は言っています。ここから想像できるのは暗鬱でなかなり荒れた荒涼とした神様の単身時代の様相が見えてきます。これはもう「夢」とか「希望」明るいものはありません。これは今まで統一教会の神様の概念イメージとはかけ離れています。
「神の霊が水のおもてをおおっていた」とは、一節の 抜け殻の神様 が霊のように実体の神様の上を覆っていた、という事のようです。
ここに私に涌いて来た 大命題 「神様の単身時代とは」に対する最終的な回答が与えられました。
単身時代の神様の姿は、「混沌・カオス、虚無、暗黒」であると創世記は言う。そして「闇」だという。私が思うに「闇」とは暗黒、即ち「悪」にも通じる世界が既に有ったということです。しかしこれは神様個人の内側の世界なので罪にはなりませんが、「荒ぶる神」の姿がみえてきます。そのような要素を持っているのです。
まさかこの創世記にこのように明確に書かれているとは考えもしませんでした。
これ以上の証明はありません。とても「神は愛なり」などと言える明るい代物ではありません。「混沌」「スモッグ」のようであり「虚無」だと言っているのです。
そして今まさに“手術台”の上に乗せられ麻酔をかけられた巨大な神様の実体、昏睡状態の神様が形なく「地」を満たし横たわっているのです。
世界には多くの創世神話がありますが、「世界は混沌が分かれてできた」というものがかなり存在します。創世神話の「混沌」とは、この時の状態を見せられているのです。神様の単身時代自体は見ることはできません。
「独生神」ドクセンシンと名付ける
「単身時代の神様」というのを何度も打っていると長くて段々と嫌になってきました。何かいい名前は無いものかとずうずうしくも考えていたら「独生神」という名前が浮かびました。これは口に出してみると心が喜んでいる、こころが暖かくなります。「独生女」のパクリみたいです。
「単身時代の神様」と少し意味合いが違ってきてこちらの方が正確です。「独生神」とは「一人で生きていた神様」という意味です。「独生神」の神様の時代が無限に長いと考えられます。
(独生女・これも「一人で生きていた女」という意味ですか? 当たっている?)
第三節「光あれ」
1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
次の作業です。「あれ」とはどういう意味かと考えてみました。「あれかし」「有る」ように「成って欲しい」という意味のようです。
「地」に満ちた、善も悪も混沌とカオスの状態の神様の単身時代の実体に、一つの方向性、新しい価値の基準を当てて振るいをかけて「発光」するようにする、という意味なのです。
この神は「殻」の神様です。「光あれ!」という号令一過、地を満たす神様に巨大な振動機のようなもので衝撃を加え、そして強力な磁場のようなものを加えて「地」を満たす神様の中身が水と油のように分離した状態となりました。その成分が分光器のように順番に並び替えられるのです。
「すると光があった。」
すると、“ほぼ”その目論見の通りに分かれ精製された模様です。
水槽の中のどす黒い水が分離して上部の一部が「光」を放つようになるのです。
“ほぼ”と付けました。
私はこの作業を 遠心分離機の精製 を想像してみました。「地」を満たした神様を巨大な分離器にかけて、上には清い透明な層ができ先端が発光しています。そして下には泥の様な不純物の沈殿物ができています。
この時点では未だ一つの体なのです。丁度 頭だけが「光出した」ようなものです。
ここで「善悪」という言葉を使いましたが、通常は「悪」とは堕落によって生じた物であり神は元始より善のみの方であると“統一教会では”されていますが、この度の解読では「善悪」という概念は単身時代の神様の特性の一つである、という結論を出しました。神様の基本性質として強烈な「善悪観」という価値観が存在していたのです。
「光」とは何か。
総体としては「闇と混沌」であったのが神様の実体でした。しかし「混沌」の中にも、より明るい要素、より陽的な要素、光っているような要素も存在したのですが、全部が「ドロドロ」に混じってしまっていたのです。
その「混沌」に「光と闇」という基準を当てて整列、精製、分光器のように並べ替えました。
この時の状況は、「古事記」の絵で天上からイザナギノミコトが混沌の海をかき混ぜている様子を想像しました。
「殻の神」が「混沌の神」を「天」からかき混ぜているのです。
第四節「分けられた」
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
この「神」とは、抜け殻の神様のことです。“ほぼ”神様の希望の通りに精製されました。その「光」の出来具合を見て「良し」!と言われました。合格ラインのデータが出たようです。
神はその光とやみとを分けられた。
ここが山場です。「殻」の神様は「善悪」、「光と闇」に分離した「地」の巨大な神様の体に境界線を引いて「地」を満たす神様を二つに切り裂いて二つに分割した、ということのようです。
上で「精製」と言いましたが、完全な「光」の部分は頂上だけで、あとは曲線的に変化しているのです。なので、適当な所に線引きをして分けたのです。何割の割合で分割したのでしょうか。半分では「闇」の要素が多すぎるし、かと言って「光」だけにすると小さすぎます。何パーセントくらいの所に線引きし切り分けたのでしょうか。ここで私は かなりの不純物が「光」の側に残っている と見ています。混沌の要素が残っているのです。大体 何パーセントの純度で精誠された「光」なのでしょう。
「分ける」とは分離を意味します。神様を二つに分離、切り離した、ということのようです。「地」を満たす 果てが見えない程に巨大な神様の体を巨大な刃物で断ち切った、どれ程大量の血が流れたことでしょうか。これで二人の神様が出来たということです。一大外科手術です。
元々お一人の神様を二人に分けたって? そんなことが出来るのですか? 信じられません。
前に述べたように、神様は自身では如何ともしようの無かった自身の闇の部分を切り離して身軽になろうというのです。その切り裂く作業は抜け殻の神様が「地」でしているのです。
( 子供の頃にサーカスを見に行き、回転する大きなノコギリで人体切断する場面を今も怖ろしく思いだします。)
第五節「名づける」
1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
ここが「昼の神様・夜の神様」の出処となっている聖句の部分です。
「名づける」? ただ名前を付けるだけなら労も無い事、しかし前の節の内容を考えるとそんなに簡単なことではないはずなのです。かなりの仕事のはずです。
「名づける」の中身は?
切り分けただけでは、未だ不十分だったのです。この状態では天使と人間を初めとする被造世界が相対しうる神様の状態では無かったのです。まだ開きがあるのです。
「分ける」ことにより「光」で呼ばれる部分と「闇」と呼ばれる部分が出来ましたが、依然として「形なく」のままだったのです。
「改装工事中」
分かりやすく言えば、まだ目も鼻も口も耳も、なにも無いノッペラボウの液体かガスのままの神様なのです。
ここで「地」が「無形」の神様に「形」を付けて人間の認識可能な神様に作り替えるために“改造”の工場となります。
スモッグのような神様に体を創りました。そして「目も鼻も口も耳も」みな付けました。同じ血の通う「人間」として、体は無いけれど人間と共通の「形」が出来上がりました。神様が、私達がイメージする神様、人格神になったのです。これがアダムの原型となっているものと考えられます。
既に創造原理が立てられていて原理の言うように男性の体を得たと考えられます。
因みに、単身時代の神様には「目も鼻も口も耳も」何もありませんでした。何故なら他体が存在しないので姿かたちは必要が無いのです。
覚醒:
「改造作業」が終わりました。
二人の神様は、人間の体、形を得ました。
そして二人の神様は麻酔から目覚めて自らの姿を見るのです。初めは「幽体離脱」のように横たわる自らの姿を上から眺めたのでしょう。独生神時代の“スモッグ”のような神様から血の通う人格神と生まれ変わった、正に新しい体を得たのです。
改めて自身の姿を鏡に映して見たかもしれません。映画の「ターミネーター」の場面を思い出すようです。
下のお父様の御言葉を見ると、それぞれが独立した人格体としての主張を持ち、完全に独立した存在、別人となっています。信じられません。
「名づける」事の重要性
「殻の神様」は産まれたての二人の神様に名前を付けました。
「名前」 の重要さ。絶対、唯一、人格、人権の基本、・・・「私」の主張、権利、個性
独りで生きていれば「名前」は必要がないのです。神様が二人になった時点で名前が必要となりました。
前の節で「神」によって二つにわけられ「光」として分離された神様に「昼」と命名し、残りの「悪・不純物」、「やみ」が主成分の神様に「夜」と命名したのです。ここに「昼」という神様と「夜」という神様が登場です。
この「命名」されることにより、それぞれが独立した人格神として認められたのです。人間型の人格を持つ自存者となります。
名前とは「付けてもらう」もののようです。二人の神様も「殻の神様」に付けてもらいました。
但し、この名前はその後に使用されていません。「唯一神」という建て前なので「名」は不要、ということになるのです。聖書でも神様はこの神様の名前について随分とこだわっておられます。神様は自分の名前を「有って有る者」と言えとモーセに告げます。本当は「昼」という名がある、ということです。
二人の神様は全ての作業を終えて、天に向かって一直線、「地」を離れて飛翔してゆくのです。
「なんと! アダムは名無しの権平だった」 https://ameblo.jp/okiamiami/entry-12315496323.html
アダムは生涯に渡って「人」と呼ばれ、名前がありませんでした。それは人格を認められないという酷い処遇なのです。
独生神の時代と根本的に異なる神 大革命
それは「他体自覚」公共性を持つ存在となった事
神様も「他者との関係」の中に生きる、という存在となりました。
四位基台思想の確立を目的としました。
「昼」という名の神様
「光」の神様には独生神 単身時代の神様の暗い記憶がそのまま相続されているかどうかということが疑問です。
私が想像するに、殆どの過去の重荷から解放されているのではないかと推測しています。
即ち神様は「生まれ変わった」ここまで軽くしたのです。昼の神様には「闇」の記憶が「ほぼ」消されているのです。
「ほぼ」消えた?・・完全ではないのです。しかし「両班神様」の性質はしっかりと残っています。これは本姓のようになっているのかも知れません。「闇」はどこへ行ったのですか。それは消えたのではなく邪魔なものとして全部「夜の神様」に移したのです。
大母様は、絶対善霊の罪の記憶を消す、などと簡単に言われますが、都合の悪い記憶が、そんなに簡単に消せるわけがありません。神様はそのために体を二つに切り裂いたというのです。
「昼」という名の神様・・これが「光」、我々が知る普通の神様となります。私達の知る「神様」と言えば「昼」の神様のことです。神様の本体は、あくまで「昼の神様」が主導していると考えられます。
これで「光」であり「善」の神様によって被造世界創造をする準備が完成しました。
その後の天地創造は、「昼」の神様が執行者となるのです。
第二日目以降に「光の神」によって、霊界、天使界、地上界、万物、そして人類が創造されてゆきます。
「昼の神様」の愛は未熟である。
神様は「分ける」ことにより自身の中の「闇」の部分を取り除き軽くしました。しかしそこに愛は無かったのです。
原理で言う「四位基台」の愛は体験して初めて完成するものですので、崇高な理想は立てましたが実体はないのです。
愛とは他体との関係性のこと、独生神 神様の単身時代には愛はありませんでした。単身時代には愛は全く必要としなかったのです。
愛のハンマー 2019/01/22
イエス様の時代の神様は未だに冷酷な神様でした。
イワン雷帝 https://ameblo.jp/okiamiami/entry-12412782950.html
超石頭で、超頑固者の神様です。簡単に変わることは出来ないのです。ご自身で体を立ち割るくらいにしないと変われないお方。相当に強烈な衝撃でないと変わることはないのです。相当に大きなハンマーで目玉が飛び出る程に頭を殴られないと応えません。
お父様は、神様にそれ程の「愛のハンマー」あったのでしょうか? 両班様でおだてる事には長けておられたようですが、
「夜」と命名されたもう一人の神様
夜の神様も、同様に「人間型」の一人の神様となったようです。それはお父様の御言葉により初めて知りました。
この論文の目的も、この「夜の神様」の存在証明が重要だ!と教えられました。
この問題を深く解読すると、深刻な内容になります。天地創世以来、誰も考えたことの無い事態なのです。
多くの問題も残したままに動きだしました。矛盾も積み残したまま天地創造が出発しました。
「夜」と言う名の神様・・ 「闇」、夜と言う名の神様は「名前を付けた」、までしか書いてないのです。その後この「夜」と言う名の神様は表舞台から姿を消してしまいます。しかし無くなったとは書いてありません。
お父様の御言葉を見れば、それぞれが独自の人格者としておられるのです。
神様の「闇」の部分を全て「こぶとり爺さん」のように付けられて、「いい!と言うまで出てくるな!」と闇に追いやられてしまったのでしょうか。どういう契約になっていたのでしょうか。
宇宙には見ることの出来ない暗黒物質ダークマターというものがあり巨大な質量を持つと言います。
実際には「光」よりも「闇」 の方がはるかに大きいと思います。「夜」の神様は侮れない力を持つと考えます。最後の時を迎えて、タダでは済まないはずです。
とりあえずこれで神様は「光」の神、「善」なる神、になりました。
知られたくない見られたくない「闇やみ」を切り取って「夜の神様」に移して最後の時まで隠してしまいました。
その後の天地創造は、「光」の神様が執行者となるのです。
神様は、実に驚くべき事実を隠したまま天地創造の大業をされてこられました。この事実を知るのは誰ですか。お父様は知っておられました。ルーシェルは? 当然のこととして知っていると考えられます。
天使達は知っていたか? 多分知らなかったと考えられます。
「夜の神様」の現状は?
我々には、事実を確認するツールが与えられていない。
いままで、お父様から神様について「ああだ、こうだ」と教えられて来ましたが、考えてみれば「信仰」の元に「鵜呑み」にしてきただけでした。我々には「真実か否か」を確認する術が奪われているのです。
この度、発覚した「夜の神様」が真実だとすると、お父様が詐欺師になってしまいます。
ここに「夜の神様」を論証しましたが、その実体は全く知ることができません。とにかく「おられる」ということだけです。
その後、「夜の神様」は、何をしてこられたか、今はどのようにしておられるのか、などなど。全く知る術がありません。
「霊界」も同じです。
我々には「真実か否か」を確認する術が奪われているのです。420代先祖解怨?「絶対善霊」?確認のしようがありません。逝ったら最後なのです。「大母様」が言われるので信じていただけでした。やりたい放題なのです。
分からないのを良い事に、結構、都合よく騙されて来たようです。
天地創造の一日目の全ての仕事が終わりました。
天地創造の第一日目は、「天と地」の創造をして、単身時代の神様を「天地」の世界に移すことであり、神様を「光」と「闇」に切り分け、「光」の神様を全能の神様、として立てる、という神様自身の異次元的な自己改造でした。
1:5 夕となり、また朝となった。第一日である。
< 雑感 >
「卑怯者」
「昼の神様 夜の神様」、二人の神様が天地創造の「はじめ」からおられた。そしてそれを神様は隠していた、という事実は実に責任が大きいと考えられます。われわれと全被造物を今日まで騙していたと言えます。
「闇やみ」を隠して「善人の神」「光の神」になりすましていた、ということでしょう。
チョットこれって「卑怯」なんじゃないですか?
なんと、神様が卑怯の元祖ですか。
私は彼の民が「卑怯者だ!」と言いましたが、ここに根源があるのかもしれません。
https://ameblo.jp/okiamiami/entry-12353884387.html
「選民」とは神様により近い性質を持つようです。日本人のように「正義を愛する」お人よしの民は選民にはなれないのです。
神様を美化し過ぎたお父様 <Ⅱ>
天地創造の裏に、こんな酷い話があったなんて、神様は絶対愛の方だと信じ切っていたのに、あまりにも酷すぎます。お父様の責任は大きいです。お父様が語られた「真の愛」の内容に問題あり! 詐欺師と言われても仕方ない程です。
天聖経「真の神様」を読んで下さい。どれ程に神々しく偉大な神様でしょうか。「愛だ!愛だ!」とどれ程書かれているでしょうか。今、訓読してみれば、美辞麗句、「夜の神様」など、どこにも気配さえありません。これはお父様が責任を持って発表した御言葉です。「夜の神様」を隠してこのような「愛の化身・神様」にしてしまったのです。問題は神様が元始から「愛であった」と我々に思い込ませている、ということです。嘘はいけません。
神様は、そのような神になろうとされたのであって、なってはいないのです。
結果オーライ
この「強引で荒っぽい」手法を正当化できる唯一の論理とは。
たとえどんな「卑怯」な手を使ったとしても、神様の立てた「ビジョン」「夢」が成就していれば、お父様が勝利していれば、全部が問題なく、全員が喜ぶようになっていたのです。
この「卑怯者!」 と言われても仕方のない強引なやりかたも、最後に皆が幸せになり、ハッピー! 結果として良ければ皆、文句はなしで終わるはずだったのです。神様は、それを承知の上で計画し実行したのです。
ところがこの「ピジョン」が完成できずに破綻してしまったのでアラユル矛盾が露呈してしまったのです。
上手くことが運んでいれば、全部が丸く収まって、皆が喜ぶようになって「実は、」と言って「夜の神様」の事を打ち明けて、晴れて「夜の神様」の登場、となれば、何とか丸く収まってしまう予定だったのです。
現実はというと、その鍵を握っていた「真の父母様」の基台が崩壊してしまい、もうどうにもこうにもならなくなってしまいました。
失速してしまったのです。
「結果オーライ」神様は、お父様が手綱を取る「火の車」を駆って雪崩れ込むように一機に強行突破してしまおうと考えておられたのです。が、最後にボロボロになって失速してしまいました。対空砲火をまともに食らって、穴だらけです。墜落です。
「二神時代」
「天」という漢字は「二人」だという話は聞いていましたが、「二人?」これって「昼夜の神様」のこと?、天に奥様は不在です。
「原理」は唯一神 が大前提
それは、唯一神、絶対者 というこれまでの教え理論が嘘であったことを認めることになるのです。
下のお父様の御言葉は、既に単独では完成することができないと言う事を認めています。
どちらにしても重要なことは単独では決定、決済出来ないということです。「昼の神様」は絶対者ではないのです。
そして、このことを初めから隠していたという事実です。
「夜の神様」はもう半分の神様なのです。今までは表に出てきませんでしたが、半分は権限を持っています。
当原理ハッカーの解読も“唯一神”を前提としています。
「復帰摂理の失敗」を論じてきましたが、「復帰摂理の終わり方」も今までは当然と考えて来た神様の対応方法が「二神?」「三神?」、考えられません。現実は一存で決済できる神様がいないようです。
「夜の神様」の公表
「結果オーライ」で収めたかったのですが、結局のところ、穏便に「夜の神様」の紹介をすることができなくなってしまったのです。
しかし、知らん顔をしたままにすることは、できなかったのです。お父様には在世中に「夜の神様」の存在を表明する責任があったのです。他に公表できる人は居ないのです。
但し詳しい事はご自身からは言えなかったのです。それで、下のような訳の分からない御言葉しか残せませんでした。それは、この記事で書いた様に、余りにも深刻な事情と摂理的な動向、要請をお父様が在世の時に問題なく説明することができなかったものと考えられます。
聖和の前夜の状況は、とてもこんなことを発表できるような様子ではありませんでした。
お父様として、存在の事実だけでも残して逝ったのです。「とにかく二人いるんだ!」
「天地創造」は神様の一世一代の大博打! ・・・どうも「負け」てしまったようです。
神様、お父様、ルーシェル、皆、博打打です。
昔は家長制度の時代でした。博打打は妻まで博打の形としたと言います。神様は「我が子」まで博打の形にしたのです。
「カイン・アベル」の原型?
原理講論 より
それでは、カインとアベルは、どちらも同じアダムの子であるが、そのうちだれを善の表示体として神と対応し得る立場に立て、また、だれを悪の表示体としてサタンと対応し得る立場に立てるべきであったのだろうか。
この「表示体」という不思議な言葉がこの度の「夜昼の神様」を想像させます。
この「夜昼の神様」は正しく兄弟の関係と見ることができます。どちらが兄かは問題ですが、善と悪、光と闇に分けた、それを言い換えれば、光の表示体と闇の表示体、というふうに使えます。
「表示体」? 信号機を連想させる表現 言葉です。
「善」を表す、象徴的な意味合いです。「善」そのものではありません。「どちらかと言えば善の側を表す」というような意味です。
「昼の神様」も「光」そのものとはなれませんでした。闇の要素が残っているのです。
それぞれの心理を考えると、完全に「闇」カイン、「光」アベルという関係になりそうです。ここにカインアベルの原型がありました。しかしこれは復帰摂理以前、創世の話です。
闇を背負わされた「夜」の神様は今日まで如何なる路程を来られ、そして今はどのようにしておられるのでしょうか。
夜の神様・・・恨み呪いの「祟り神」になってなければ良いのですが、事実は誰も知りません。確認の手段が無いのです。
お父様の「昼の神様・夜の神様」の御言葉が出ています。
シャボン玉のブログ 様より https://yuun0726.muragon.com/entry/57.html
夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。
夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを首を長くして待ちわびて来られた。
四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
もしアダムとエバが完成して昼の神様になって「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。」
理解可能なものを載させていただきました。
一見すると穏便に見えますが、本当でしょうか? もし、私が「夜の神様」だったら黙ってはいません。
また、「夜昼の神様」の分かれた訳は一切ありません。
上記の御言葉は、明白に「夜昼の神様」二人の神として語っておられます。
そして「創造」の前に既に神が二人であったことを認めています。ここで重要なのは「天地創造」と言わないところです。「創造以前・・、創造目的・・」とあり、「天地」が付いていません。」私の上記分析では、創世記一章一節の「天地創造」の時は未だお一人でした。二日目以降の「地」の創造の時には既に二人となっているのです。
今まで絶対的な信頼を寄せていた二本の巨木、神様とお父様が、なんと白蟻に食べられてスカスカになっていたのです。下手に寄り掛かれば崩れてしまそうです。
今や、祈る対象を失ってしまいました。瞑想するだけです。
支離滅裂になってしまいました。
「夜の神様」の存在証明をすることが大事だということで格闘し、まとめて見ましたが、この「夜の神様」については考えれば多くの問題が残されています。他にもいろいろと考えてみましたがカットしました。私にはどういう意味があるのか分かりません。ただ、言えることは、もう後の無い時になったということです。
最後には「存在証明」だけでもしないといけないでしょう。
2019年、年を越えても完成できずに焦っていたのですが「急がなくても良い」というのです。
まあ~、これでどうのこうのとなる訳ではありません。
何か、独生女の問題もどこか霞んでしまう程に深刻な問題です。
独生女も所詮は「小鬼」に過ぎません。「大鬼」は「夜の神様」かもしれません。
当原理ハッカーは「復帰摂理の失敗、終了した」とうったえてきました。
私としては「第四次アダム」を望みの綱 としていたのですが、それも全く気配がありません。
第四次アダム論「子羊の婚宴」の真実 https://ameblo.jp/okiamiami/entry-12374422371.html
いよいよそういう深刻な事態、大きな変化が目前に迫ってきているようです。
終着は、「創世理論」 2019/02/15
「昼の神様・夜の神様」が結論ではありませんでした。
何故にアイデアが止まることなく続くのか、理解できませんでした。
答えがありました。それは「創世理論」としての完成が目的地である、ということだったのです。
これは話が違います。これを組み立てるとすると又も厄介なことです。しかしそのための資料が出ていることは事実であるし、それが「業務命令」ならば従うしかありませんが、今更になって何の意味があるのかと疑問です。
ということで、不十分ですが、「昼の神様・夜の神様」の論文にこれ以上手を掛けることは締めて出します。
次は、創世神話を使って「昼の神様・夜の神様」の立証をしてみます。
これは「創世理論」の根拠ともなっています。