そろそろ、心の整理がついて経過を書くことができます。ペットととの向き合い方で医療や埋葬のことは、飼い主さんによって著しく異なり、ここに書いていることは私独自の考え方と行動であり、不快に思われるかもしれません。お許しください。これを読んだ方が少しでも後悔しないケアを選べるよう、やはり書きます。

 

昨年の2月、次女が帰省していた際に尻尾に何かデキモノがあると気がつき、検査したら肥満細胞腫でした。市内で一番設備の整っている人気の動物病院。レーザーや手術で取れると確信していたのに、医師が薦めてくれませんでした。肥満細胞腫は皮膚上のものは大人しく良性。内臓に転移するとがんのように振舞うようです。検査で針を入れると血が止まらなくなり、その後はずっとジクジクと潰瘍状になりました。週末ごと抗生物質を打ちに通院しましたが、高価なわりに改善はせず、4回ぐらいで通院をやめて自分で手当を続けました。

 

包帯を取り、表皮を剥がさないよう覆っているものは水で柔らかくして、ゆっくり剥がす。皮膚はピンクで血が染み出し、膿でいっぱいです。消毒は広く念入りに。包帯で守らないと血だらけになります。激しく動いても取れないように気を付けました。処置の最中痛がることはなく、「頼むぜ」という態度で大人しくしていました。人間の大人のようでした。こんな手当が約11か月続きました。

 

院長から「こういうジクジクが始まると治らない、断尾が本当は良い」と言われましたが、「神経質ですぐに食べなくなる子なので、大事な尻尾を失うと生きる気力を亡くし、16歳を過ぎた彼の余命は変わらない」私は率直に意見しました。医師も私の考えに納得してくれましたが、他の提案はなく治療では物別れに。セカンドオピニオンを探すこともしませんでした。本当はどうすれば良かったのか?

 

2023.4.23

 

庭の鉢植えのつるバラが大きくなり、私は早起きして水やりをしていました。毎朝、彼は庭に出て歩き回り、日中は大好きな2階の窓越しでくつろいで過ごしました。声をかけると必ずニャーと返事をする。人間の子供より素直で良い。時に寝ている処を襲いかかりニャーニャー一生懸命何かを訴えているが猫語不明。「布団に入ってきてよ」と誘うが少し考えて、結局布団で寝てくれない。本当に一日一日を大事に過ごしました。夏を超え、保護した日の9月15日を過ぎ17歳を超えました。

 

2023.9.30

 

秋が深まる頃、腫瘍が大きくなっていました。内臓に拡がっているのでは?最悪のことを考えました。好きなものも段々と残すようになり、痩せてきて覚悟するようになっていました。今冬は常時コタツをつけっぱなしで温かくし、寒い日はコタツから出てこない日もありました。歯か口内炎か口の中が痛いのか、食べるのを嫌がることがあり、「イタっ!」とびっくりしたり、前足で「待って」と拒みます。腫瘍のジクジクが原因で、炎症を起こしやすかったかもしれません。後悔ですが、病院から遠のいても、その時点で診せていれば、体力を落とさず、もう少し長く生きられたかもしれません。

 

年末年始はいつものとおり、主人に留守をお願いして四国の娘のところへ。今年は帰りに京都に寄りました。明日帰るという日に「ご飯を食べない、2~3日中に死んじゃうぞ」えっ!「食べない時はにゃんスプーンを顔の側にお願い!舐めるから!」すぐに帰りたかったけど、新幹線の予約を変更することができず、1月3日に急ぎ帰宅しました。さらに痩せていてボロボロでした。半液体状のものを時間をかけて強制的に食べさせました。チュールにご飯シリーズがありましたが、あまり好きではありませんでした。たまきちとの思い出が深い次女が連休中泊まりに来てくれて、温かな時間を過ごしました。残る体力をふり絞り、階段を上り、大好きな窓越しで過ごしていました。もう1日!もう1日!彼のルーチンを!と願いました。猫は最期になると体を冷やしに行く?コタツに入ろうとしないとゾクっとし、入れば「また明日が来る」と、安堵して自室で寝ることが出来ました。

 

2024.1.7

 

抱き上げた時の重みが少し戻ってきたかな。週末になった13日(土)、救う手はあるのかと久しぶりに病院に行き血液検査をしました。肝臓の数値ALTが525と爆上がりで、血糖値も低い。老猫にありがちな腎臓機能は大丈夫でした。以前診て頂いた院長先生ではなく若い先生から「食べなかったことによる肝臓機能の低下、もしくは肥満細胞腫の肝臓などへの転移かもしれない。どちらかはエコーで確認しなければ分からない」ということでした。「とりあえず肝臓機能を高める薬を処方します?」「いえ、頑張って食べさせ様子をみます」病院で診てもらったのはこれきりで、原因は分からないままです。

 

検査結果が出るまで車の中で待機。キャリーから出したら助手席の足元に隠れる。助手席に座らせると落ち着いてくれて、お日様がポカポカした車の中で何十分か、一緒に気持ちよい時間を過ごしました。この時間まではこんな穏やかな日が続くのだろうと信じていたのです。

 

その夜に容態が急変し、繰り返し痙攣を起こし、寝たきりになりました。直前まではトイレにも行けたし、声をかければ応えてくれてた。痙攣を繰り返し、目は開いたまま、音のする方向へ動く耳は反応しなくなり、呼びかけても応えなくなりました。もう何も口にできない。流し込んでも痙攣するだけ…もう…一晩中寄り添って寝れませんでした。

 

次の日の日曜日、夫婦そろっていました。痙攣を起こしながら、しっかり者の彼が粗々をする。ペットシーツの上に寝かせていたら、夢遊病のように手足を動かし走るように、尻尾は毛が立って少し太く左右に動いていました。どこを旅しているのか?夢をみているか?

 

1月15日(月)はもしものことをと主人に霊園への連絡方法などお願いして、私は職場に向かいました。職場に着いたら、「今日の午後に代休を取るべき」と天の声が聞こえ、午後は帰りました。液状のフードと水をコクリと飲み込み、えっ?これから回復する?一瞬期待しました。しかし、15時頃ネット番組をみていて、ふと触ってみると息が止まっていて、目の色が変わっていました。まだ少し温かく、やわらかい。主人が降りてきて赤ん坊のように抱きかかえ「ありがとう!ありがとう!」と。2人揃って看取ったのは本当に偶然でした。

 

仕事の都合で、時間も限られ葬儀の準備もしないと。調べておいたので、当日中ギリギリの受付時間に直接霊園に持ち込むことにしました。レオの時は、移動式で順番待ちし夜中となり、作業という感じで冷たくて嫌な想いをしました。今回はスタッフさん達に優しく受け入れていただき、丁寧にお別れ式があり、2人で立ち合いました。2人とも1人じゃ色々無理だった。たまきちは人間家族の上司ポジションだったので「2人揃って見送れ」と時間を決めたのでしょう。17年半ずっと大好きだった、たぬき尻尾ともお別れです。最後にもう一度触らせてもらいお別れしました。遺骨は持ち込んだ菓子缶に入れるようお願いし、次の日の朝の霊園のスタッフのみで火葬。主人が2日後に遺骨を引き取りに行きました。

 

晴れの週末、レオが埋まっている隣にガーデン担当の私が深く穴を掘り、主人が埋めました。私は遺骨を見ていません。遺骨を見るどころか、骨壺入れて部屋に置いておくのも私には怖くて耐えられないのです(人間もそう!即お墓に入れる婚家なので助かっている!)。埋めた場所は植えて3年の低い金木犀の樹の根が伸びてきている場所です。そのうち根がたまきちを抱きかかえ立派な成木になるでしょう。

 

この1年覚悟して過ごしたため、沢山の写真や動画が残っていました。可愛くてしかたがなかった子猫の頃や高いところに登っていた若い頃や沢山の写真を眺めていると癒され、たまきちロスの不調はすぐに直り、感謝の気持ちだけが残りました。寒くて暗い家に戻ると「ひとりで待たせてごめんね」という気持ちです。亡くなった義理母がいつもそばにいたことや2年前同じ1月に亡くなったレオを迎えたことも本当に良かったと思う。5人家族に猫2匹、賑やかだった我が家の一時代は完全に終わりました。

2006.9.24

‎2007‎.12‎.‎22‎

2015.1.1

 

長くなりましたが以上です。この部分はブログのみです。