メモ2019.5.7 | nishiyanのブログ

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この列島の一住民です。(九州)
今までにない最悪の復古的イデオロギー政権を退場させるため消費(GNPの約6割を占める家計消費)を意識的に控える活動を広めることを開始。2017.12.14に休止。★ひとり継続中。

メモ2019.5.7

 


改元のせいか、最近は天皇や天皇制の言葉に出会うのが多い。わたしは、消極性で言えば、天皇や天皇制に関わりの意識を持たないから、それにまつわるこまごましたことはよくわからない。呼び方や女帝云々などは馬耳東風になる。積極性で言えば、いろいろとある。
 
鎌倉期から武家政権が二重権力として、箔を付けたり名誉つながりで落ち目の天皇を細々と政治利用してきたが、明治期に大規模な政治利用として天皇制を政治権力に組み込んだ。そうして、先の敗戦で天皇制は臨死した。が、戦後あいまいな象徴天皇制として生きのびた。天皇制が2000年も生きのびてきたのは理由があると評価する考えも見かける。
 
しかし、これはなかなか変わらないこの列島のわたしたち大衆の負の精神の遺伝子のせいだと思う。つまり、この列島の私たち大衆は自立性が弱くいろんな困難なことの決断や「元気をもらう」存在として、諸アイドルや有名人と似たようなレベルで名誉会長的な存在を求め許しているからだと思う。
 
したがって、外国の政治指導者からは今なお子ども扱いされているように見える。私たちの自立性という観点から照らせば、このような天皇制的なものは偽主流だと言える。真正の主流は相変わらず底流している。天皇は、今は権力を持っていないが象徴天皇制の下、強いられた無垢の人を演じなくてはならないのだろうが―その利害損得なしの無垢さがまた人々に受けるのだろう―、産業社会や私たちの意識の変貌とともに、徐々に消えるべき時に消えていくような気がする。
 
だから、目くじら立てずに成り行きに任せればいいと思う。ところで、政治担当層を蹴ったくりたいほど社会の空気が悪すぎだが、私は、とりあえず「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」。
 
思えば小学生の頃、昭和天皇の「地方巡幸」があり、わたしたちは動員された。場所は今でも覚えている。高い台が設営されていて、そこから帽子を持ってだったか手を振っていた。わたしにはこの人物やこの催しが何のことかわからなかったが、訳知り顔の子どもがなにやら手の振り方はどうのと周りで説明していた。その人物が高台の上にいるせいかわたしにはサーカスの人のように見えた。しかし、このせいで交通規制が成されたなどを知って、その特別扱いから、わたしは天皇に反感を持つようになったように思う。これがたぶんわたしの天皇との初めての出会いであり、現在では反感は消えてただの知らない他人になっている。