覚書2016.10.22 | nishiyanのブログ

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この列島の一住民です。(九州)
今までにない最悪の復古的イデオロギー政権を退場させるため消費(GNPの約6割を占める家計消費)を意識的に控える活動を広めることを開始。2017.12.14に休止。★ひとり継続中。

覚書2016.10.22

 


1.人は、主に家族という場でこの世界に生まれ、家族や地域の小社会を通して育っていく。生物的な遺伝子は生まれてくる過程で受け継ぐとして、この列島全体に共通する、あるいは小地域にのみ共通する、精神的な遺伝子は、その育つ過程で受け継がれていく。


2.この精神的な遺伝子というものは、私たちの心臓などの臓器が私たちの意志とは関わりなく不随意的に活動しているような、そんなレベルの無意識的な反応や活動の型を指している。したがって、それは欧米の文明圏に育ったルース・ベネディクト『菊と刀』のように外からは気づきやすいが、内からは気づきにくいものである。

 

3.なぜ私たちが無意識的なのかといえば、それらの精神的な遺伝子は、途方もなく長い歴史の時間にさらされ耐え来たもので、身体や家の支柱のようなものとなっていて、もはや私たちの自然な感じ方や考え方や振る舞い方になってしまっているからである。例えば、一般に温和さや内気さがそれに当たる。


4.人が家族や地域や社会で生きていく過程で、このような精神的な遺伝子の受け継ぎの上に、その精神的な遺伝子が、遙か太古から幾多の物語を経て主流として流れ来た現在的な姿、現在の社会の有り様との関わり合いの中で、人はなにものかを受け継ぎつつ自己形成を遂げていく。


5.このように人がこの社会で生きていく過程で受け継ぐものには、遙か太古からの根深い歴史的なものと現在的なもの(両者は関わり合っている)との二重性がある。もちろん、それは対話しながらの受け継ぎである。


6.その現在的なものの受け継ぎの過程には、人によっての短期的な親和・異和・中性があり、さらに長期的な親和・異和・中性がある。つまり、生涯の中、若い頃には反発したり、何とも思わなかった慣習でも、成人して年を経るにしたがって親和や受容に変貌することがありうるということである。
 

7.ここから、想定できることがある。一人の人間には、外からの二重の受け継ぎを遂げながら、内面に独立して思い描かれるイメージや言葉(のようなもの)の世界があり、それはその人の固有性に彩られている。それとは別に、個の受け継ぎの源として、遙か太古からの歴史的な本流として、外の社会に流通するイメージや言葉がある。
 

8.なぜこういうことを考えるかといえば、こういう人と社会との関わり合う姿の基本構造を社会学であれ何であれ、現在のところ十分に明らかにし得ていないと思うからである。不明なことが少しでも明らかになることは、無用な倫理や混乱を減殺する。つまり、わたしたちがよりよく生きようとすることを助けてくれる。
 

9.また、こうしたことを考えたのは、『「すべてを引き受ける」という思想』(吉本隆明/茂木健一郎)のP70-P71、「吉本―人間の身体も一個の人類史である」(註.1)を時々反芻していることによる。外在的な文明史や人類史と、個の内面的な人類史。吉本さんの考えを大きな参考として考え中。


(註.1)

『「すべてを引き受ける」という思想』(P70-P71 吉本隆明/茂木健一郎 光文社 2012年)