この列島の意識の接続法について | nishiyanのブログ

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この列島の一住民です。(九州)
今までにない最悪の復古的イデオロギー政権を退場させるため消費(GNPの約6割を占める家計消費)を意識的に控える活動を広めることを開始。2017.12.14に休止。★ひとり継続中。

 わたしたちが、この人間界で日々生きて活動しているということの中には、誰もが何らかのつながりの中に存在していて、関係の糸を伸ばしたり、つなげたり、切断したり、またあるときにはあいまいなつながりのままを許容したりなどというようにしている。この関係の接続法とも呼ぶべきものは、個々人によって固有性があり、違いがある。また、個々人のレベルを離れて、日本人の意識の接続法とでも呼ぶべきものも想定できそうだ。

 例えば、以前一度触れたことがあるが、この列島の至る所に無数の小野小町伝説が存在する。そのことは現実的に考えてあり得ない。それはなぜなのかということについて、柳田国男は答えている。この列島各地を移動して、説話を持ち運んだ語りの者がいて、自分が見た聞いた、あるいは小野小町になりきって語るなど一人称形式で語った。そのことから素朴な村々の聴衆は、語り手と小野小町を同一化することになり、列島各地に同じような小野小町の塚や伝説が残されることになったと分析している。語りが白熱してくると「語りの者」と「語る者」(一人称形式の小野小町であるわたし)が、「語りの者」本人にとっても観客にとっても同一化されていくのは容易に想像でる。無数の小野小町伝説の存在にふしぎに思うわたしたちにとって、説得力のある捉え方だと思う。

 この小野小町伝説の存在を事実か否かとして受けとめようとすれば、小野小町本人が列島をそんなにも広範囲に歩き回ったということはあり得ないことだから、事実ではない、虚偽であるということになるが、それで終わればこの伝説について何にもすくい取れないことになる。柳田国男の上の解は、事実か否かの判断領域を超えて現に存在する小野小町伝説を発掘してその存在の意味に照明を与えたことになる。

 また、山々を渡り歩いたという木地師が、何々天皇とのつながりをしたためた由緒書を持っているということがある。また、この列島各地のおそらく大多数の神社が、古事記に出て来る神々のいずれかとのつながりの伝説を持ち、その神を祭っている。この両者とも事実か否かで見れば、事実とは見えない。しかし、事実か否かの領域を超えて、木地師たちが「尊い存在」とのつながりの中にあるという彼らの意識は真実だろう。同様に、列島各地の神社の由来も事実か否かの領域を超えて、統一国家が集約しているレベルの神々とのつながりを付けようとしたという神社側からの意識は真実だろう。これらは、わかりやすく言えば、価値あるものと見なされているものにつながりを付けることによって、自分たちの存在や神社に箔を付けるという人や組織の悲しい習性を意味している。、

 伝説の中には、自分たちにつなぎとめられる相手は尊い存在であるというつながりの意識としては同一であっても、上記の小野小町伝説や木地師や神社のつながりを付けるやり方とは違った形の接続法によるものがある。これも事実レベルでは現実にあり得ないようなつながりを持っている。柳田国男が触れている。



 伝説の上では、空也上人よりもなお弘く日本国中をあるき廻って、もっとたくさんの清い泉を、村々の住民のために見つけてやった御大師(おだいし)様という人がありました。たいていの土地ではその御大師様を、高野の弘法大師のことだと思っていましたが、歴史の弘法大師は三十三の歳に、支那で仏法の修業をして帰って来てから、三十年の間に高野山を開き、むつかしい多くの書物を残し、また京都の人のために大切ないろいろの為事(しごと)をしていて、そう遠方まで旅行することのできなかった人であります。……中略……とにかく伝説の弘法大師は、どんな田舎の村にでもよく出かけました。その記念として残っている不思議話は、どれもこれも皆似ていますが、中でも数の多いのは今まで水のなかった土地に、美しくまた豊かなる清水を与えて行ったという話でありました。
(「日本の伝説」P180 『柳田國男全集25』ちくま文庫)


とにかく十一月二十三日の晩に国中の村々を巡り、小豆の粥をもって祭られていたのは、ただの人間の偉い人ではなかったのであります。それをわれわれの口の言葉で、ただだいし(「だいし」に傍点)様と呼んでいたのを、文字を知る人たちが弘法大師かと思っただけであります。
 だいし(「だいし」に傍点)はもし漢字を宛てるならば、大子と書くのが正しいのであろうと思います。もとはおおご(「おおご」に傍点)といって大きな子、すなわち長男という意味でありましたが、漢字の音で呼ぶようになってからは、だんだんに神と尊い方のお子様の他には使わぬことになり、それも後にはたいし(「たいし」に傍点)といって、ほとんと聖徳太子ばかりをさすようになってしまいました。そういう古い言葉がまだ田舎には残っていたために、いつとなく仏教の大師と紛れることになったのですが、もともと神様のお子ということですから、気をつけて見ると大師らしくない話ばかり多いのであります。 (「同上」P194-195)




 この柳田国男の言葉の背後にはたくさんの民俗的な蒐集と比較検討があり、言葉はそれらに支えられている。素人のわたしたちがここで確認できるのは、この列島内のいろんな遺物や伝説に弘法大師や聖徳太子が関係づけられているけれど、現実的に考えてそのことは疑わしいということである。では、なぜそのようなことが起こったのか。「だいし様」というのが「神様のお子」だとして、それが「弘法大師」や「聖徳太子」と同一化して見なされるようになったのは語音の類似からと見なされている。背景としては、「だいし」という存在が人々の意識の中で次第に薄れてきているということと仏教の流入・浸透・流行がそれを支えたのだろう。

 ここで、柳田国男は何をしようとしているのだろう。この「日本の伝説」では十分に尽くされていないが、柳田国男は日本語というあいまいな言葉やイメージの森を探索しながら、埋もれてしまってはっきりした像を結ばないこの列島の〈尊い存在〉の発生やそれに対する列島民の処遇などの移り変わりを発掘しようとしている。いわばこの列島の精神史の真の姿を発掘しようとしている。

 しかし、上記のような横滑りや同一化がなされても、人々の意識の中での〈尊い存在〉という点では同一性が保持されている。こういう事情は、おそらくこの列島の人々の意識の古い層に保存されてきたずいぶん強固な根のようなものだという気がする。したがって、そのような心性や意識は現在のわたしたちの世界にまで続いてきているはずである。


 このわたしたちの意識の中での同一化に関係するものとして、最後に引用するが、吉本さんが「日本語の迷路」として取り上げている。従来からある和語と呼ばれる日本語(これ自体の像もはっきりしないけれど)を、初めは「漢字の音でもって置き換えていった」。その後表音と表意を併せ持つ漢字の表意性も付加したり、あるいは表意のイメージも受け取ったりとなっていって、日本語がよくわからない迷路に入り込んでしまったということ。柳田国男の指摘した、「だいし」→「弘法大師」、「たいし」→「聖徳大師」などは、まさしくこの吉本さんが指摘して「日本語の迷路」に起因している。

 わたしは、詩や短歌で普通漢字にすべき所を意図的にひらがなで書いたことがある。そうすると「ひらがなのA」という言葉は、「漢字のA」なのか「漢字のB」なのか、文脈上からも曖昧で決めかねるというもので、あいまいさを湧き立てる表現として使ったことがある。これは「日本語の迷路」を逆手に取ったものと言えるだろう。ただし、それが普通の表の風景であれば、この「日本語の迷路」は現在のわたしたちに到るこの列島人に日本語や日本文化について様々な誤解や誤読を生み出してきていることになる。



 それから、もうひとつの問題は、非常に、今度は、言語学上の問題になってしまうわけですけど、たとえば、日本語と、日本語周辺にある、たとえば、地域との言語年代的な比較をやると、そうすると、だいたい、どこにも類似の言葉がないっていうようなことが、現在のところでてきているところなんですけど。

 つまり、日本語と、なんらかのかたちで共通性があるらしいとみられうるのは、まず、琉球沖縄では、3,4千年くらい以前には、同じ祖語から分かれたであろうということが、おおよそ言えるということ、それから、もうひとつは、7千年から1万年くらいさかのぼりますと、日本語と朝鮮語っていうのが、あるいは、同じ祖語に、つまり、元の言葉にぶち当たるのではないかってことが、なんとなく言えそうだってところが、現在の言語年代的な到達点であるわけですけど。

しかし、考えてみまして、周辺の領地と、まったく関係のない、類推がきかないような言語っていうのは、言葉の本来的な性質からしてありえないのであって、もし、それだけのことしかいえない、つまり、日本語っていうのが、どこにも周辺に類推する基盤がない、あるいは、類似の言葉が見つからないってことは、どういうことを意味しているかっていうと、大変な誤解がどこかにあるに違いないと。

 その誤解の主な部分は、たとえば、漢字の音でもって置き換えていったと、それで、置き換えていきますと、はじめは、表音的っていいますか、音を借りるために、漢字を借りてきたわけですけど、終いには、それが年代を経ていきますと、漢字自体の一語一語に意味がそれぞれありますから、だんだん意味があるものとして、変わってきてしまうってことがありうるわけです。

 だから、たとえば、二番目のあれでいいますと、美奈の瀬河っていうふうにあるでしょ、そうすると、あの美奈っていう字を、みなさんご覧になりますと、なんとなく、きれいでおっとりしたっていいますか、そういう感じがするでしょ、つまり、そういう意味合いがあるみたいな感じがするでしょ、しかし、そこが迷路のはじまりでして、そんなことは、ぜんぜん関係ないのです。

 だから、それとおんなじことなんですけど、たとえば、水無瀬川っていう、水無しの瀬の川って書く、水無瀬川っていうのが、たとえば、京都のほうにいきますとありますけど、そうすると、なんか水があんまり無くて、川の瀬がいっぱいでているっていうような、そういう印象を、自然に受けてしまうでしょう、しかし、そんなことは何の意味もないです。
そういうふう字をあてますと、ひとりでに、字が意味をあたえてしまうってことで、変わってきてしまうのです。つまり、その種の迷路ってものは、日本語の古典語から振り分けたうえでないと、言語年代学的な比較というのはきかないということがあるのです。
 つまり、そういうことを、言語学者っていうのは、より分ける方法っていうものをつかまないかぎりは、やはり、日本語っていうのは、わりあいに、孤立語であると、つまり、周辺の領域に共通の言語っていうのはみつからない、あるいは、共通の祖語にいきあたるだろう、つまり、共通の元の言葉にいきあたるだろうっていうような言葉にいきつかないってことがでてくるのです。

 それは、そういうことは、たいへんおかしいことであって、そういうことは、本来的にいえば、ありえないことなんですけども、おそらくは、そのもとは、その種の、美奈瀬河っていうふうに、ああいう字を書けば、なんとなく美しいような、やさしいような川みたいな感じになります。それから、水の無い瀬の川っていうふうに書けば、なんか浅くて、川の瀬がいっぱいでているっていうふうな、そういう川っていうふうに、だんだん年代をくううちに、そういうふうに考えていってしまうっていうような、性質が漢字にはありますから、そういうふうにして、ぜんぜん、まったく違うものに変わってしまうってことが、違う意味に変わってしまうってことがあるのです。

 そういうことを、方法的に選り分けられなければ、おそらくは、言語年代学っていうのは、比較をやっても意味がないというふうに、ぼくには思われます。それが、おそらく、日本語を、たとえば、非常に孤立語だっていうふうに思わせてくる、非常に重要なポイントだっていうふうに思われます。

(「(講演A023) 詩的喩の起源について」5.日本語の迷路 吉本隆明 1971年)
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a023.html

 ※読みやすいように、段落間を一行空けました。