映像作品から物語作品へ―ささいなことから | nishiyanのブログ

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この列島の一住民です。(九州)
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 映像作品から物語作品へ―ささいなことから

  (映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について)



 「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」の日めくり版ベルギーの旅の1日目を観ていたら、おそらく関口知宏が乗って走っている電車を外から撮った場面が出てきた。このような場面は、『関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36000kmをゆく』でも何回かあった。また、アメリカのテレビドラマ『FRINGE(フリンジ)』でも、舞台はあの牧歌的な西部劇の舞台ではなくこんな高度に錯綜とした世界ですよと観客に意識化させるかのように、ドラマの各回の始まりや場面が大きく転換したときなどに大都市を上から俯瞰した場面が毎回ちらっと出ていた。このことから連想したことがある。

 そのことに触れる前に、言葉の作品、物語ということについていくらか触れておく。 ある人が、何かを表現しようとすると「作者」に変身する。現在では、作者は、想像的な時空を生み出すために「語り手」や「登場人物」たちを派遣する。作品の言葉を現実に書き連ねていくのは、当然のこととして「作者」であるが、なぜそのような想像的な時空を生み出したのかという作者のモチーフや作者自身は、影を潜めるように「語り手」や「登場人物」たちの後景にいる。このことにわたしたちは十分に慣れてしまっていて不思議なことには思わない。作者は作品の言葉の細部にも意識的にか無意識的にか散りばめられるように宿っているのかもしれないが、わたしたち読者は、作品の全行程を走破することによって作者の表情やモチーフに触れる、あるいは触れた気持になる。

 昔、演劇の劇中で舞台裏(現実)をちらっと明かすような作品があった―ずいぶん昔のビートたけしや明石家さんまの登場した『オレたちひょうきん族』にもそんな舞台裏(現実あるいは偽現実)を明かす要素があったように思う―、また、芥川龍之介は「作者」を作品中に登場させた。これらをもう少しわかりやすい例で言えば、あるとても有名な俳優がいたとして、その俳優(本人からすれば、今は舞台を下りている普通の人)が、自分たちと変わらない買い物などの日常的な行動をしているのを目にした時の、俳優としてのその人への眼差しと普通の生活者としてのその人への眼差しとが、自分たちの中で齟齬(そご)を来たして異和感をもたらすことになる。あるいは、新鮮な驚きという場合もあるかもしれない。これらの感覚の奥深い根は、太古の巫女やシャーマンなどに対する普通の住民の眼差しにあるのは確かだと思われる。

 作品や俳優の裂け目を垣間見せることは、わたしたちの自然な感覚に異和感をもたらすものであった。と同時に従来とは違うということからある新鮮さももたらすものでもあった。しかし、わたしたちは日々の生活で、家庭や学校や勤務先などでは同一人物なのだが、それぞれの場面で微妙に違うような人格として振る舞っていて、普通そのことには疑問を抱かない。それと同じように現代では、ある人が何か書き始めようとして「作者」に変身した時、「作者」は想像の物語空間に合わせるように「登場人物」たちを配し、作者と同一とは言えない「語り手」を派遣する。


 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
  (「羅生門」芥川龍之介 青空文庫)



 「作者は・・・・・と書いた」とか「前にも書いたように」とあるが、確かに言葉を連ね書いたのは「作者」であるが、普通なら作者から分離された「語り手」が語っていることになる。ここでは、「作者=語り手」となり「作者」と「語り手」が未分離になっている。こういうことがどこから来ているかと考えてみると、西欧文学の影響に関してはわたしはわからないから、この国の表現の歴史から考えれば、長く受け継がれ来た語りの伝統ではないかと思う。

 現在、物語において「作者」が「語り手」を分離するのは、わかりやすく言えばちょうどある人が衣装を身に着け化粧もして「俳優」に変身して舞台に上ることと同じである。さらに身近な例で言えば、家族の中では「圭ちゃん」と呼ばれているある少年が、学校という小社会では友達関係でなければ一般に「圭太郎」と呼ばれたり、名字で呼ばれたりするのと同じである。わたしたち人間は、家族や学校や勤務先など誰もが現実の位相の異なる小さな世界間や、何かを連想したり想像したりなどの精神的な世界間を割とシームレスに日々出たり入ったりしていて普通はそのことをあまり意識しない。

 ところで、わが国の「語り物」の伝統では、過去に作られた物語やあるいは歴史上の人物や出来事を自らアレンジしたりして、物語を語る「語り手」がいた。柳田国男によればそういう人々がこの列島を旅して村々や町々に語り物を流布させていた。その「語り手」は、一般に、近代小説のように登場人物たちの内面に入り込んで内面描写をすることなく、登場人物たちの行動を外側から語った。例えば「語り物」の例を挙げてみると、


 (引用者注.雪が降るすばらしい景色を前にして)……しばらくの間ごらんになってたんだが正宗公(引用者注.若い頃の伊達政宗)はご満足あそばしましたのか、されば帰還をいたすであろうと立ち上がりました。この正宗公という方は非常に癇性(かんしょう)の強い方だったんだそうで、寒中でも足袋をお履きになりません。素足でございます。
 (神田松鯉(しょうり)の講談「水戸黄門記より 雲居禅師(うんごぜんじ)」、NHKの『日本の話芸』より)



 このように、「語り手」は伝聞や想像を交えて、自らが見てきたように語るが、「語り物」では外面描写になっている。このことの意味は、別に語り物の起源からの歴史的なものとして論じなくてはならないが、ここではそれには触れない。近代以前の語り物では、誰かがあるいは多数の人々が共同で作りあげた物語を、「語り手」はいくらか自らの主観や感情や聴衆への受け狙いなどを付け加えながら語り継いでいったのだと思う。したがって、現在のような物語世界の仕組みの知識に触れていない聴衆(読者)の側から見れば、「作者=語り手」と同一化されたはずである。あるいは柳田国男が小町伝説の全国的な流布の原因として述べたように「語り手=登場人物(主人公)」の同一化も起こりやすかった。テレビ放送が始まりだした頃の話として聞いたことがある。テレビドラマの中で一度死んだ者が、生きていてまた別のドラマに出ているのにおばあちゃんだったかがびっくりしたという話である。真偽のほどは別にして、こういう笑い話が流布するということは、二昔前の聴衆は「俳優」とその演じる世界、「語り手」とその物語る世界、そして想像世界と現実世界とを同一化しやすかったからだと見なすほかない。

 近代以降の小説に慣れたわたしたちには、「作者」が「語り手」を分離せずに芥川龍之介の「羅生門」のように「作者」と「語り手」が未分離なのは、現在的には「普通人」と「俳優」とが二重化したような異和感がある。あるいは、読者としてはせっかく虚構(つくりもの)と意識せず物語を読み味わっているのに、これはつくりものだよと言われているようで感動が白けるように感じるかもしれない。つまり、この「羅生門」で作者が登場する必然性は感じられないのである。芥川龍之介の「羅生門」は、登場人物たちの内面に入り込んだり、内面を推し量ったりと、近代小説の構造を十分に備えている。考えられることは、「羅生門」というこの作品が古典を素材としていることであり、そのことが、この「作者」と「語り手」の未分離ということを呼び寄せたのではないかということである。つまり、古典を素材としアレンジする中で、内面描写を伴う近代小説の構造を持ちつつも、わが国の長い語り物の伝統を無意識に体現したものではないだろうか。人間の感覚や意識も、また表現の歴史も、華やかな現代性を持ちつつも、太古からのその深い感覚や意識や表現の奥深い歴史の地層の中に浸かっている。したがって、表現の長らく続いてきた定型は何らかの拍子にこのように顔を出すことがあるからかもしれない。

 ここで、ようやく最初の連想に戻る。
 最初の連想の話に戻せば、旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮るということは、映像作品として見れば作品の舞台を俯瞰的に見渡す映像を重ね合わせただけだという普通のことに過ぎないかもしれない。しかし、この映像作品には、旅の主人公関口知宏という登場人物や彼が現地で通り過ぎたり出会ったりする登場人物たち、数々の情景、口数は少ないにしてもナレーションとしての「語り手」などが存在する。映像を撮り持ち帰りそれを編集しナレーションを加えという、表現される映像空間の外にいて映像作品としての作り上げの過程に関係する人々を「作者」として括ると、「作者」は映像作品の趣旨や現地での旅の主人公関口知宏の行動についてお互いに前もって何らかの打ち合わせをしているはずである。そういう「作者」としての関与があるはずである。大まかにはそれに沿いながら旅の主人公関口知宏が相対的な自立性を持って行動することによって映像作品のための主要な部分が形成されるだろう。ナレーションはおそらく映像の編集過程で後から加えられるもので、言葉の物語作品の語り手の重要な働きとは違って、軽いものに見える。

 旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮る(見る)ということやその映像を選択して作品に付け加えるということも、作者の映像作品への関与のひとつであり、作者の眼差しが作品に登場したものだと見なすことができるように思う。

 そして、先に述べてきたように、このことを言葉による物語作品に対応させれば、芥川龍之介の「羅生門」に「作者」と宣言して登場するように露骨にではなく、見分けにくいけれども作品の中へ「作者」が顔を出すことと対応していると思われる。わたしが小学校の頃には、先生が「みなさん、この部分の描写から作者の気持ちを考えてみましょう」のような国語の時間があったように記憶する。作者と作品とは同列に対応するように見なされていたように思う。このことは、現代から見て単なる誤りということではなくて、この国の文字使用以前からのとても長い語りの伝統の残滓としての自然性、自然な感覚ではないかと思う。柳田国男は語り物について、語り歩くものがいたわけであるが、本当は「群れが作者である」と述べていた。つまり、語り手は大多数の民衆に受けそうな物語を語り、民衆の感動する曲線に沿うように語ったからである。

 しかし、主に明治以降の近代社会においては、西欧の思想の影響下、個の存在の自覚が本格的になり、現在に向かって次第に個が先鋭化してきている。それに対応して、近代小説においては、作者という個がせり出してきたために語りという近世までの主流と違って、作品を読み味わい批評する上で「作者」という固有の個を考えざるを得なくなってきた。つまり、作品の背後にそれを生み出した作者という固有の内面を想定せざるを得なくなってきた。

 ここから、作者、作者の想像し創出する物語の世界、そこに入り込んで登場人物たちの内面をのぞきこんで説明したり、情景を説明したりする語り手、などの表現過程における各要素や各主体を分離したり関連づけたりしなくてはならないようになってきた。作者は、作品からは退いた後景に位置するが、一般的には作品のモチーフとなって物語世界に参与する。また、作者のいくつもの作品によく出てくるような場面の描写があるとすれば、それだけ作者の意識的か無意識的に固執されたモチーフだから、そこは作者の顔出しと言えるだろう。ともかく作者は小さな破片のようなものとなって作品世界に散布されているはずであるが、その作者の顔を分離して余さず取り出すことはとても難しいように見える。したがって、読者にとってお気に入りの作品であれば、何度も読む度に新たな気づきや発見があり得るかもしれない。

 ところで、作者、語り手、登場人物に関して、吉本さんが『悲劇の解読』かそれに関わる対談だったかで触れていたが、そのときは深く考えず意味するところがよく飲み込めなかった。あるいは、わたしの方にそのことに対して吉本さんほどの切実さのモチーフがまったくなかったからかもしれない。人は、互いにある切実さのモチーフという同じ舞台に立てないならば、本当に切実に物事を感じたり受けとめたりすることは難しいものだからである。

 吉本さんのモチーフは、生身の「作者」と作者が想像的な表現の世界で変身した、あるいは作者から派遣された「語り手」とを区別しないならば、例えば作者の生存の悲劇をどこに帰したらいいか明確にならないというようなことだったと思う。今は、少しわかってきたように感じている。遙か太古からのつながりの中にありながらも形を変えてしまっているということ、そういう現代において物語を表現するということ、表現された物語を出来うる限り十全に読み味わうということ、そのためにはそのような微細に見える区別と連関に対する理解を深めることが大切な課題になってくる。