7月23日の元夫逮捕記念日を前に

自責の念が苦しく

カウンセリングを受けました。

 

「自責の念が苦しいんです」

と言ったら

「そばにいたんだから、犯罪を止められた

んじゃないかとか、自分を責めてしまうん

ですね」

と返されたので

「違います」

といいました。

 

「極端な考え方をする人だとは知っていながら

行動に移す可能性を全く考えず、安易に結婚

したこと、子どもを産んだ自分の愚かさが

悔やまれてならないんです」

と言ったのです。

 

私は、元夫と結婚する前から、延命治療に否定的な

考え方をしていることは知っていました。しかし

それが実際に人を殺しにいくほど、極端な考え

だとは思っていなかったのです。私自身も、また

身近な家族も、治る見込みがない状態に陥ったとしたら

痛みや苦しみを伴う治療はしたくないし、させたくない

です。痛みを緩和するようなケアだけ行って、自然な

最期を迎えたいという考えをもってはいるのです。

しかし、積極的に死に至らしめるというのとは、

乖離が大きすぎます。

 

夫婦喧嘩をすることもあれば、子育てに疲れることもあり

親子喧嘩をすることもあるでしょう。仕事が嫌になる

ことだってあるでしょう。それでも、多くの人は、気分転換

したり、見方を変えるなどして、日常を送っていきます。

一時的な感情で、家庭を壊したり、二度と職場に戻れない

ようなことをしたりは、普通しません。

 

どんな人でも、犯罪者になる可能性は確かにあります。

しかしその可能性というのは、故意ではなく不注意に

よるものの場合です。故意に犯罪を犯す人というのは、自分の

ことしか考えていません。法令を破ること、人を傷つける

ことを正当化する極端な考えをもっています。家族を失っても

構わないと思っています。だから多くの人は

「故意に」犯罪を犯すことはしない。多くの人は

犯罪者になる可能性は有していないのだと思います。

 

そんな「故意の犯罪」を犯す人に対して、身近な人間が

何かできるか、止められるかといったって、不可能です。

常識では考えられないことを、突然犯すので、止めようが

ないです。

 

よって私の後悔は、大久保愉一が変わった考えの持ち主

だということは知っていながら、「子どもができれば

変わるでしょう。成長するでしょう」などと軽く考えて

結婚したこと。子どもを産んだことなんです。

「私が支えてあげよう。私がついていなきゃダメな人

なんだから。私が幸せにしてあげたい」と思って

結婚した私は、思い上がりもはなはだしかったなと

後悔してもしきれません。

 

仕事で関わるならいざ知らずです。仕事では

「どんな人も成長する」

との信念で臨むこともできるでしょうが。

 

「変な人」を好きになり、「変な人」に人生捧げた

せいで、今の苦境があります。どんなに悔やんでも

悔やみきれない。取返しはつきません。

 

病んでも当然ですよね。

 

 

ちなみに私は、刑に服す意味についても、解釈がかわり

ました。以前は、刑に服すということは「罰」だと思って

いたのですが、違うのですね。

 

法令を守る意識がなく、人を傷つけることも正当化して

しまう考えの持ち主が、社会に存在していると、一般の

人にとって恐怖だから。閉じ込めて隔離して、更生

という名の再教育を施して、社会で適応できるように

する場所なんだなと。犯した罪の重大さ、本人の罪の

自覚いかんによって、再教育に必要な期間が異なるんだな

と思うようになりました。