そう思える世界がある
川越市のおかやす学(岡安学)です。
60歳の女性の通夜葬儀でした。
すい臓がんでお亡くなりになりました。
エステサロンを経営していて、自らも、美しさを保つことを怠らない人でした。
食事も1日1食しか取っていませんでした。
夫は、通夜葬儀では大変周囲に気を配っておられて、こちらが恐縮してしまうほど、わたしも何度もお礼の言葉をいただきました。
成人した二人の兄弟のお子さんも、とても人柄が良い、好感を抱ける人たちでした。
この夏も、かなり多くの葬儀へ導師としてお参りさせていただいていましたが、この女性の通夜葬儀だけは、不思議と強く印象に残っていました。
やがて、49日の法要と納骨のために、再び、お勤めに伺いました。
霊園の待合室で、納骨の準備が整うのを待っていたときのことでした。
兄弟のお子さんの弟さんがわたしのところへ来て丁寧にあいさつをされました。
本日は暑い中、こうして来てくださってありがとうございます。どうかよろしくお願いいたします。
その青年の顔を見たときに、ふと亡くなったお母さんの顔が、わたしの脳裏に重なって見えました。
失礼ですが、おいくつになられるのですか。
わたしは、28歳になります。
もうあれから、49日となり、早いものですね。お母さんとの思い出もいろいろとあるのではないですか。
ええ、わたしの兄は結婚していて、家から離れていましたが、わたしは、闘病中の母とずっと一緒に暮らしていましたから。
そうですか、お母さんのそばにいて、お母さんを支えられてきたのですね。
青年は、その言葉に、無言で、うなずきました。
それから、しばらく、沈黙が続いていたのですが、わたしが、かける言葉を失っていただけのことでした。
青年は、わたしの戸惑いを、あたたかく見守るようにして、会釈をしてその場を離れていきました。
滞りなくお勤めが終わり、お寺に帰って、その青年のことを思い出していました。
わたしには、どうにも、あの青年のあいさつの言葉が、お亡くなりになったお母さんから発せられたものではないだろうかと思えてなりませんでした。
実際にあるのです。
この言葉は、仏さまと成った方が、誰かの口を借りて、伝えてきているのではないか、と。