肉体に執着する | おかやす学・岡安学|川越市

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分骨の相談に際して

 

 

 

 

川越市のおかやす学(岡安学)です。

 

 

 

52歳で独身の女性でした。

 

 

 

がんでお亡くなりになりました。

 

 

 

通夜葬儀は行いませんでした。

 

 

 

斎場の、火葬炉の前で、短い時間、お勤めをさせていただきました。

 

 

 

お亡くなりになる前に、どうしても、思い出の地である、ハワイに行きたい、とのことでした。

 

 

 

がん末期の状態でしたが、看護師に同行してもらい、ハワイの旅を叶えることができました。

 

 

 

帰国後、一週間後にお亡くなりになりました。

 

 

 

 

 

 

 

通夜葬儀を行うには、布施を含めて、それなりにお金がかかります。

 

 

 

でも、余命がわかっていて、どうしてもやりたいことがあるのなら、行きたいところがあるのなら、そのことを実現するために、死後でなく、生きているうちに、お金を使う、という選択肢があっていいはずです。

 

 

 

 

 

女性と付き合っていた男性なのでしょうか。

 

 

 

女性の親族も、そのお付き合いを、公認されていた様子でした。

 

 

 

その男性から、斎場の控室で、相談を受けました。

 

 

 

このあと、分骨をしたいのですが、よろしいでしょうか?

 

 

 

分骨したお骨をどうするのですか?

 

 

 

と尋ねると、

 

 

 

自分が亡くなったときに、一緒に、埋葬してもらいたいのです。

 

 

 

そうですか。

 

 

 

わたしは、答えに窮していました。

 

 

 

これは、僧侶としてではなく、個人的な思いなのですが、極めて少量のお骨ならば、構わないと思うのですが、身体の一部を持っていく、となると、しないほうがいい、というのが私見だからでした。

 

 

 

わたしは、穏やかに言いました。

 

 

 

個人的な見解で、申し訳ないのですが、ご自身と一緒に埋葬するために、分骨されるのであれば、あまりおすすめできませんが・・・。

 

 

 

それは、どうしてなのでしょうか?

 

 

 

納得いかない様子でした。

 

 

 

あくまでも、宗教観や、死生観の問題です。

 

 

 

と言いますと?

 

 

 

お骨は、本来、土に還(かえ)るものです。それに、今は、仏さまに成ったのです。お骨をいつもそばに置かなければ、もしくは自分のお骨と一緒に埋葬しなければ、故人と会えない、ということはないと思います。

 

 

 

それでも、その男性は、うつむいたまま、うなずくことはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

斎場を後にするとき、感じていました。

 

 

 

 

人は、生きているかぎり、肉体に執着する。目に見えるものに執着する。その自分が生きているかぎり、愛する人のお骨に執着するのは当然だろう、と。