STAPとか | オカヤドはん:オカヤドカリと雑文

STAPとか

いまさら書く事でもないのであるが、STAP細胞騒ぎについて。


本来、時事ネタを取り上げないスタンスであるが、サイエンスに身を置いた事のあるものとしてコメントする。


そもそも、記者会見だか何だかの発表映像を見たときに、強い違和感を感じた。カミさんに、ガセじゃ無きゃ良いけどね、と言った事、彼女の方が覚えていた。そんな考え方をするんだと思ったらしい。ええ、それなりに経験は積んでいるので。後出しと言われても、良いですが。


それでも、若手が成果を出す事は好ましい事と、続くマスコミの、科学的な観点(何が新しいか等)以外での狂乱について、多少は同情しつつ見ていた。


その後の展開は、ご存知の通り。


違和感を感じたのは、本人の雰囲気の無さである。生活感や迫力と言っても良い。分野違いの、ただの若い女性をポンと置いた、そんな印象を受けた。ラボにいる研究者ならば、おそらくは、同じ印象を抱いたのではないだろうか。

 研究は、実際には膨大な地味な作業をひたすらこなす日々である。グラフ一つ、写真一枚取るために、どれだけの実験数や調査が必要か、その背後にある、膨大なネガティブデータの積み重ねや、洗い物、シャーレやプレートの数、論文の読み込み、それに費やす時間、労力、集中、葛藤、そのようなものが醸し出す雰囲気が感じられなかった。



今や、全てが捏造であったとしても、驚かない状態になっている。

しかし、一個人の行動や責任を明らかにすることが最も大事なのではない。

必要なのは、なぜこのような事が可能な組織や仕組みだったのかを明らかにする事であり、そのための調査委員会を第三者機関で作るべきだろう。博士論文、学会誌、理研の運営、採用から研究体制の全てを、明確にする必要がある。理研の調査では限界があることは、既に明らかとなっている。


何故ならば、問題は一個人の範疇を遥かに超えており、理研のそして日本のアカデミアの信頼性の問題に関わって来るからである。事によってはサイエンスそのものへの冒涜と言えなくも無い。

個人的には、非常に残念であると共に、そういう意味で憤りを感じる。


同時に疑問を感じるのは、この手の研究には、多くの人が関わり、研究室で定期的に、あるいは非定期に頻繁な打ち合わせがなされ、データーの解釈や研究方針について真剣に意見が交わされるのが普通であり、その過程で誤魔化しが入る要素は非常に小さいハズな事である。であれば、議論ひいては研究そのものが、マトモにはなされていないのではないかとすら思える。


もはや、実際にSTAP細胞を再現して見せるしか、無いのであるが、それが出来れていれば此処までの問題にはならなかった事を考えると難しいか……。