2024年 熊野三山初詣~那智駈け③・行者堂&阿弥陀寺 | 玉置の森のブログ

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修験道のお山を中心に登拝しています(^ー^)

人との繋がりは大切にしないといけませんね。一度や二度くらいじゃダメですね。毎年、細くとも長くご縁を紡ぐことが寛容ではないのかな?打ち上げ花火のような信仰やお詣りではなく、しっかり紡ぐ事。

 

今回。この那智の地が修験道の一大霊場であることを、この現代に蘇らせる、知らしめることが、昨年に青岸渡寺で実を結びました。

行者堂

が150年ぶりに復興したのです!

真新しい案内板が!

行者堂

明治時代、神仏判然令により、熊野那智大社境内に存在していた行者堂が取り壊されて以来、令和5年10月21日に、150年ぶりに復興いたしました。

役行者尊を祀る行者堂としては日本一の大きさなんだそうです。

私のブログ読者であり、ブロ友さんであるNさんが、熊野修験の山伏として得度、そのまま那智に移住されたのです。

 

そのご縁もあって、お参りさせていただきましたが、Nさんは女性山伏として、剃髪もされておられ、その覚悟の程が垣間見れますね。

 

新年のご挨拶ののち、青岸渡寺高木智英副住職や他の行者さんをご紹介くださり、堂内もご案内くださいました。

 

これからお山でもあり、午後2時からの護摩に参座することをお約束して、一旦行者堂を後にしました。

熊野古道である、大雲取越えへの道を歩きます。

 

整えられた大門坂より、古の雰囲気が感じられる道だと思います。

10分ほど歩きますと、阿弥陀寺への参詣道・かけぬけ道に到着します。

 

ここで地元の親子連れと親しくお話させていただきました。

 

この親子とは、妙法山の山頂で再会します( ´艸`)

かけぬけ道は、15丁目までは登り一辺倒。

 

ここは、2011年9月の台風12号の豪雨により、土砂崩れが発生した場所であります。

個々の土砂は、熊野那智大社本殿まで押し寄せましたが、なんとか本殿が流されずに済みましたが、このかけぬけ道は流され、阿弥陀寺への道も土砂崩れで、長い間通行不可となってしまい、麓の市野々や周辺の山々も大きな被害を受けました。

結構、急坂もありますが、優しい道だと思いますよ。

 

案内もしっかりしています。那智勝浦観光案内所に地図もありますよ。

熊野灘が今年も大変美しく拝することができました(*^^)v

妙法山 阿弥陀寺

 

真言宗御室派の寺院で、那智七本願の一寺院でありまして、那智に訪れる参詣者は、最後にこの阿弥陀寺に参拝するそうです。ですので、那智詣でを極めたい方は、この阿弥陀寺に参拝することはマスト、ですよ('◇')ゞ

 

那智社が確立する前には、那智御瀧は妙法山へ登拝する参詣者の禊場だったそうですよ。

ひとつ鐘

 

「亡者の熊野詣」と言われ、亡くなられた人の霊魂は、この妙宝山にやってきて、この鐘を衝いてからあの世に旅立つそうで、生きている方は、何度も熊野に来るのは大変だから、生きているうちに衝いておいて、熊野にきてあの世(極楽浄土)に行くことを確定させるそうです(;^ω^)

本堂。

 

ご本尊は阿弥陀如来。今年も快晴の中、お勤めさせていただきました。本堂内には役行者尊も祀られていますよ。

 

観光客はほぼ来ませんが、地元の方々や位牌が祀られている皆さんが多くお参りされていますよ。

大師堂。

 

お大師さんが祀られているお堂では、個人的にナンバー1!の雰囲気で、大師堂には珍しく、鋭い雰囲気であります。私が阿弥陀寺にお参りする一番の目的が、この大師堂にお参りすること、でもあります。

納骨堂

 

こちらには遺骨や遺髪が納められています。

火生三昧跡

 

法華経の行者、応照上人は、その経の一節にある、すべての衆生の罪とがを一身にかぶり火をもってみずからの体を焼き尽くすという薬王の姿に打たれ、食物を断ち松の葉、草の根を食べて苦行を重ね、自らも紙の衣を着て火生三昧の行を実践した場所であります。

一通りお参りしまして、納経所で新年のご挨拶を交わし、御朱印、御守を頒布していただきました。

 

ベンチで一休み。写真のお水をいただきまして、これから奥之院へ向かうことにします。

 

続きます。