豊川市のお宮さんへ〜五社稲荷と菟足神社 | 玉置の森のブログ

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修験道のお山を中心に登拝しています(^ー^)

三河國一之宮・砥鹿神社里宮にお詣りさせていただき、次はもうひとつ、お稲荷さんにお詣りさせていただきたいと思います。

豊川稲荷さんの本拠地(^o^;)に伏見稲荷大社からの御分霊を祀るお宮さんがある、と言うことなので、お詣りさせていただきたいと思います。

因みに伏見稲荷大社以外の「稲荷」と付く御札をお迎えするのは史上初(^_^;)まぁ、稲荷大神と吒枳尼眞天さんは違いますから、違うと言えば違いますけど(◠‿・)—☆

数多くの御札をお迎えしている私ですが、お稲荷さんは、伏見稲荷だけ!と決めています。瓢箪山稲荷も源九郎稲荷さんもお祀りしたい気持ちはありますが、こればかりは、ちょっと無理かな。
JR三河一宮駅から牛久保駅へ。電車に乗車中は、猛烈に雨が降りましたが、下りると小雨から傘が要らない程度に(^o^)v

ありがたや(人 •͈ᴗ•͈)
ハッキリいいますと、降りる駅、間違えました(^_^;)ひとつ手前で降りちゃった(^o^;)

で、歩いてる途中に鎮座していました、素盞鳴神社にお詣りさせていただきます。
御祭神は、素盞鳴命。

天正8(1580)年創建。旧村社。これくらいしか分かりませんでした。たぶん、元々は、牛頭天王を祀っていたのかな?
境内に「石清水八幡宮」という幟が立ってました。小さな祠は八幡さんなのかもしれませんね。

さて、歩いて目的地に向かいますよ。
五社稲荷神社
です。

文政13(1830)年2月、伏見稲荷大社より、五神を勧請し、五社稲荷神社となりました。

御祭神は、宇賀之御魂神、宇迦之売神、稚産霊神、大宮能売神、屋船神。
急な石段を登ってまいります。
立派な拝殿と本殿。

大祓詞〜稲荷祝詞を奏上致しました。

実は、この本殿が建っている場所は、白狐ヶ丘、と呼ばれており、弥生中後期の住居遺跡、欠山式土器の発掘地として知られ、五社稲荷社は明暦年間(1656年ころ)、中央前方部大古墳上に、五穀豊穣を祈るため「保食神」を斎祀したのが始まりされます。

延享4(1747)年、御本殿の造替の棟札には「稲荷五社 大明神」とあり、上記の話につながるようです。
奥之院があるようですね。お詣り致しましょう。
こちらが奥之院のようです。

この裏山が糠塚古墳。この五社稲荷さんの古墳は、次に参拝するお宮と関係が深いのです。
🐇菟足神社🐰
式内社、旧県社。うたり、とよみます。五社稲荷さんから5分もかかりません。

白鳳十五(686)年創建。

御祭神は、菟上足尼(うなかみすくね)命。

菟上足尼命は、第八代孝元天皇御裔である、葛城襲津彦命四世の御孫で、雄略天皇の御代に穂の国(東三河地方)の国造に任ぜられたそう。

没後に、柏木浜という場所で奉斎され、白鳳十五年に、秦石勝(!)によって、現在地に遷座。
後で調べますと、来訪した翌週の土日に、風祭というお祭があり、その山車らしいです。

今年は行われたのかな?

風祭は、荒れた風、海が鎮まるように、と祈るお祭。今昔物語にも記述があるそうです。
拝殿。

実は、五社稲荷神社さんの古墳は前方後円墳と云われておりまして、東三河地方第一の規模を誇り、五世紀末から六世紀初めの造営と考えられています。そして、五社稲荷古墳は、菟足神社の御祭神・菟上足尼命の墳墓と推測されています。 
お賽銭箱には、うさぎの社紋が( ╹▽╹ )
ウサギの御神輿?(^_^;)

大祓詞〜祝詞〜般若心経一巻奏上致しました。

何故、般若心経?
収蔵庫。

実は社宝が収蔵されていまして、その中に、国指定重要文化財である、大般若経585巻が納められています。

旧4月11日に旧祭というお祭があり、風祭の無事終了を奉告、大般若経転読式が行われます。室町期から続いているそうですよ(◔‿◔)
短い滞在時間でしたが、なかなか興味深いお宮さんでした。

この地にはあの徐福伝説があります。また、生贄神事があり、猪の生贄と共に人身御供もあったそうです。

その人身御供の悲しいお話が伝わる、子だか橋(子を断つ=子断つが訛って子だかに)もあるそう(石碑のみ)。

また時間を作ってお詣りさせていただきたいですね。

この後、伊奈駅まで歩き、無事に帰阪致しました。

久々の愛知県、初めての豊川市は、とても刺激的で新鮮でした。ありがとうございます。この御縁を大切に紡いでまいりたいと思います。