私の父 今日永い眠りに
私の父、岡村和雄が今日お昼に、穏やかに永い眠りにつきました。95歳、老衰で大地に戻りました。私が理科の道に入ったのは、父の影響です。小学生のころ、父の机の引き出しに、作りかけのゲルマニウムラジオの部品がありました。ハンダこてなども、ありました。わたしは、小学五年生のとき、ゲルマニウムラジオを作り、鳴った!喜びに感動しました。そこから、理科に深入りです。書棚には、物理学講座全集などがならび、チラチラ見ていました。亡くなった今日、病院へ向かう車の中で、父のあの引き出しの中の部品や工具が脳裏から離れませんでした。お父さん、ありがとうと、やっと素直に思いました。また、父は、電力中央研究所勤務で、若いころ、雷の研究チームに参加して、何日も山奥にこもって研究をしていました。このことだけは、父に不満だらけの声が聞こえていた母は、尊敬的に私に語っていました。不器用な父でも、このことだけで、わたしは、父を尊敬できました。それから、理系ゴリゴリのような父ですが、日本文学全集が書棚に並んでいました。映画サークルにも入って、呑むと監督や俳優のはなしを饒舌に、うるさく(^^)、語るのでした。私が、高校から詩歌を愛好したルーツかもしれません。それから、父は太平洋戦争のときは、通信兵で、大きな船に乗っていましたが、撃沈され、木につかまって気絶してマレーシアの綺麗な海岸に打ち上げられ、目を覚ましたということでした。真っ白な砂浜、青い空に安堵したそうです。海が好きな私は、目に浮かぶようです。その船でたった三人だけの生存者だったそうです。私が、高校生のとき、杉並区で原水爆禁止運動に参加したり、今、62歳まで平和運動に関わってきたのも、そういえば、父のこの体験談(たった一回だけでしたが)の影響もありました。今日、亡くなって、父より私は凄いと思っていたのは、おこがましく、父のお陰様で私があるのだと思うと、気持ちが落ち着きました。95歳大往生のDNAも、父からの最高のプレゼントです。不摂生でこの宝のDNAを自ら傷つけないようにしたいと思います。最近、皮膚感覚に詳しい方から教わり、父の背中や足を撫でてあげました。私は、父を撫でたことはありませんでした。なんだか、不思議な感覚の、幸せな感覚、父との境界が溶ける感覚を感じ、心の充足を得ました。なくなっても、手のひらが記憶して、手のひらの皮膚の中に父が生き続けるように思います。お父さん、ぼくを62年間も育ててくれてありがとうございました。お父さん、ありがとうございました。合掌(葬儀は、身内の家族葬です。お気を使わないでください。)