【随想】科学と芸術を考える
私は仲間と、ダ・ビンチ サイエンス教室という科学実験講座を開いています。芸術家であり、科学者であるレオナルド ダ・ビンチに憧れ、子どもたちには、この世界を多面的な視点で観て、全面的な成長をしてほしいという願いから命名しました。ところで、脳科学の中野信子さんは科学者ですが、現在、東京芸術大学大学院に入りアートを研究されています。とても興味深く、共感しています。ホモサピエンスだけが、ネアンデルタールなど他の多くの人類種が絶滅する中で、唯一生き残って延びている要因に、アートを獲得したからかもしれないと仮説を立てて研究されています。食べることと子孫を残すことが動物の基本ですが、厳しい環境に対しては、アートを持つことによって乗り越えてきたという仮説です。歌い、奏で、踊り、描き、そして、神を作り、苦しみを超える力にし、絶滅を逃れることができたという仮説です。国際的にも珍しい仮説だそうです。私は思います。我々ホモサピエンスは、その後、サイエンスとテクノロジーを獲得して、苦労、苦痛、危機を乗り越えてきました。しかし、サイエンスとテクノロジーの利用が人間の欲望の果てに、人間をオートトミー(自己切断)状態に陥れてしまいます。自分たちで環境を壊し、自分たちの命を、自分たちで削って生き延びているという状態です。それによるストレスの軽減のためにも、現代人はアートを渇望している状態だと思います。私も、詩を書き、絵を描き、時には、カラオケを歌い、日の出の太陽の美を感じ、仰ぐことで、精神をリセットします。さらに、気候危機、自然破壊、エネルギー危機、超格差社会などのこの地球と人類の危機的極限状態を克服するためには、サイエンスの視点と方法と、アートの視点と方法によってものごとを観て、考える必要があると思います。脳科学を極めている中野信子さんも現代の人の幸福のためには、そういう境地になられているのかと察しています。この発想は、私たちが運営している「サイエンスひとネット」という命名の発想、「ダ・ビンチサイエンス教室」という命名の発想の基底にも流れています。そこで、AIに質問した膨大な回答を、私が要約し、加筆してみました。(偉そう!(笑)) ↓ 科学は「客観的な事実」を扱い、芸術は「主観的な感情」を扱う。世界を理解しようとする2つのアプローチです。科学者も芸術家も、出発点は同じで、世界を深く、鋭く観察することです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家であり、解剖学者でした。筋肉の動きを正確に描くために死体を解剖しました。これは、芸術的な探求であると同時に、科学的な観察でもありました。植物学者が新種を見分ける目と、画家が光の微妙な変化を捉える目は、本質的に同じ「観察の力」に基づいています。科学(数学)が芸術の美しさを裏付けることもあれば、芸術が科学的なインスピレーションを与えることもあります。例えば、黄金比。パルテノン神殿から葛飾北斎の絵、あるいはひまわりの種の並び方に至るまで、人間が美しいと感じる比率には数学的な法則が隠れています。例えば、フラクタル構造。雪の結晶や海岸線の形など、自然界に見られる自己相似図形(フラクタル)は、数式で表されると同時に、美しいアートとして認識されます。科学技術の進歩は、常に芸術に新しい手法を提供してきました。合成顔料の発明が印象派の鮮やかな色彩を可能にし、光学の研究がカメラと写真を生み出しました。今ではAIによる画像生成など、科学技術が表現を生み出しています。科学と芸術は、同じ「真理」を追い求めていますが、次のような違いがあります。 科学(Science) 目的 普遍的な法則の発見 手法 再現性と客観性の追求 芸術(Art) 目的 独自の価値や感情の表現 手法 唯一性と主観性の追求 科学は「世界がどうなっているか」を説明し、芸術は「世界が自分にとってどう感じられるか」を表現します。この両輪があるから、私たちは世界を立体的に、多面的に、豊かに理解できるのです。以上は、久しぶりの良き学びでした。