空襲で教師3人死亡した旧砂川小学校跡を見学、校舎土台を戦争遺構へと思う
昭和20年4月24日アメリカ軍の空襲で砂川小学校(戦時下の当時は砂川国民学校と改名、現在は立川市立第八小学校)も被害を受け教師3人が死亡しました。その跡地は幸五東公園となっていて校舎の土台が残っています。子どもたちと市民の平和学習のために戦争遺構として保存し説明板などを設置してほしいと思います。また、二宮金次郎像も手と足の部分を爆撃で破壊されました。現在、立川八小正門横に再建され公開されています。先日、立川教育振興会の歴史散歩で当会副理事長で郷土史研究家の豊泉喜一さんの案内で見学しました。砂川小学校跡地(児童公園になっています)校舎土台部分を示して、説明してくれた豊泉喜一さん手前の砂利交じりのコンクリートの部分が校舎土台校舎土台豊泉喜一さんから、砂川小学校空襲の話を聞きました爆撃で手足を破壊された二宮金次郎像 豊泉喜一さんが保存に尽力しました(立川市立第八小学校正門にあります)こどもたちと市民に広く伝えたいと思います。写真提供当会理事けやき出版社長 小崎奈央子さん