立川教育振興会の歴史さんぽ



今日は、「西砂の野仏」をメインテーマに

立川の西砂地域の歴史の学びを豊泉喜一さんのガイドで歩きました。


ここは、江戸時代の新田開拓の地

水の乏しい台地の地に

250年前

玉川上水から分水してもらい

乾燥の荒野の地の開拓が

可能になりました。

砂川地域の開拓よりも

かなり後のことでした。

まさに、命の水が通りました。

この歴史的な画期を作った殿ヶ谷分水についての石碑を
豊泉喜一さんたちは建てて
半永久的に偉業を記録しました。
石碑は何百年も消えずに
伝えてくれることでしょう。
↓↓↓








南からは

昭島の宮沢から来た人々が

宮沢新田を拓き、

北からは

武蔵村山の殿ヶ谷から来た人々が

殿ヶ谷新田を拓き、

西からは

羽村から中里一族が移住し

中里新田を拓きました。

それぞれの新田の人々が

それぞれのルーツの地から

神社を分けてもらい建てました。

今日はそれみて回りました。

↓↓↓
昭島宮沢からの人々が建てた諏訪神社
宗教法人化してなくて、維持に苦労してます。

羽村の中里一族が建てた神明社
横田基地拡張の地にあったため、
ここに移転しました。
↓↓↓

武蔵村山殿ヶ谷からの人々が建てた阿豆佐味天神社
氏子も減り、お祭りのお神輿も出せず、がんばって維持しています。いっときは、私の目の感じですが、すごくさびれていましたが、今日見たら、綺麗になっていて、がんばっているようでした。
↓↓↓


馬頭観音が何か所かにあります。

副業で木炭を作り

馬に乗せて江戸に売りに行っていたとのこと。

馬を大事にしていたあかしです。

個人宅の馬頭観音

↓↓↓

個人宅の花に囲まれた馬頭観音
↓↓↓



私は阿豆佐味天神の横にあった
この馬頭観音に惚れ惚れしました。
自然石のままで出来ているのが珍しい
大きさも立川で2番目
そして
ルーツの違う三つの新田が
共同で建立しました。
この馬頭観音は
三つの新田のちょうど境目あたりに建てられてます。
↓↓↓



↑↑↑

この立派な馬頭観音に

私は感動しました。

大変な苦労の中

ルーツの違う三つの新田の人々は

力を合わせていたように

思えました。

みんなで

江戸に木炭を売りにがんばたのでしょう。

馬たちは、神様仏様なのです。


さて、

殿ヶ谷新田の

阿豆佐味天神社では

昔から数年前までずっと

氏子の村人が役者になっての

演劇舞台が開かれ

近隣からも大人気だったという

お話も聞きました。

豊泉さんも

遠くの砂川七番から

見に来て楽しんだとのこと。

こうして

野良仕事の中

娯楽を得ていたのでしょう。

昔の人々の自分たちで

楽しく生きるやり方に感動しました。


豊泉さんとの

歩きながらの雑談では、

青年団活動時代の

楽しいお話を

お聞きしました。

コーラス、

フォークダンス、

演劇、

旅行などで楽しんだとのこと

そして

男女の交流が何より楽しかった

とのことでした。

人生で一番楽しかったと

おっしゃっていました。

こんな雑談ができるのも

いいですね。


あっという間の3時間

タップリ一万歩を歩いて解散

95才の豊泉喜一さん曰く

「なんだ、一万歩か」との言葉に

みんなで、ビックリ仰天しました。

なんと豊泉さんの歩きが

一番早足でした。

もっともっと

立川の歴史を

教えて頂きたいと思いました。

研究のまとめの記録もされているようで

本を出してほしいと思います。


お帰りのときの豊泉さんの

軽やかな歩く後ろ姿の隠し撮り

(失礼しました。微笑)

↓↓↓

では皆様

次回の企画お楽しみに