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思い出は映画と共に…(バチョン風に)

昔、集めてた映画のパンフ、
適当に引っぱり出し、当時の思い出…

適当に
思い出は映画と共に…(バチョン風に)-レイダース
「レイダース/失われた聖櫃<アーク>」1981年作
監督/スティーブン・スピルバーグ 脚本/ローレンス・カスダン 音楽/ジョン・ウィリアムズ
出演/ハリソン・フォード カレン・アレン ジョン・リス=デイヴィス デンホルム・エリオット
製作総指揮/ジョージ・ルーカス

おなじみインディアナ第一作、1981年末公開の正月映画、冒頭シーンの岩のゴロンゴロン音響にビビリまくった、酒に強いマリオンねーちゃんや、喜んで殴り合いするゴツいおっさんが面白かった。
「E.T.」の前だったんで、世間一般にはまだそんなにスピルバーグ人気はなかった……と思う。
この時代の字幕スーパーって、明るい画面になるとやたら読み辛くなるヤツがあり、本作もそうだった、聖櫃の仕事の依頼受けるキモのシーンも、読み辛くてイライラしてたが、活劇始まったらどーでも良くなった…、同時期に「キャノンボール」「マッドマックス2」等があり、本作もトラックでの争奪戦がいちばん面白かった、カーアクションものが流行ってる時期だったせいもあるんやろな。
ひょうきん族で“レイダンス/笑われたアーク”ってパロディコントやってて、ナチスのメガネおっさん役に、元々似てた桂文珍がハンガーのシーン等をそのままやってた、あんまオモロなかった
「レイダース」が面白すぎたせいか、84年の「魔宮の伝説」観たときは正直物足りんかった、マリオンねーちゃんは出て来んし、助手のガキはウザいし、でも「E.T.」の後だったしなぁ…。
85年の金曜ロードショー初放送の際、水野晴郎が“息も尽かせない面白さ!”とか言いながら、CM入る度に息尽きまくり、トイレ行きまくり、やっぱこのテのヤツはノーCMブッ続けでないと面白さ半減する…と改めて実感した、最初に¥10500でビデオが発売されたとき、売れまくってたのもわかる。
インディアナ役は当初トム・セレックの予定ってのは有名なハナシで、83年に「ハイロード」ってトム・セレックの映画が来たとき、パンフに“レイダースはセレックのモノだった…”って東宝東和の負け惜しみみたいな記事があって……、なんか笑た。

1982年の正月、道頓堀の大阪松竹座にて、中1のとき。
小学生のとき「宇宙戦艦ヤマト」~「さらば宇宙戦艦ヤマト」に連れてってもらった思い出深い劇場。
場内は広くて洋風の内装でクソガキの自分には新鮮だった、2階の指定席もあったっけ。
今もあるけど、改装されて舞台劇専門の劇場になった、でもオシャレな外観は変わってなかった。
「E.T.」や「トワイライトゾーン」もココで観たっけ、なおかつ鑑賞後に客がみんな揃って失笑した、あの怪作であり珍作「ブルースリー死亡の塔」も、なんとこんな立派なトコで上映されてた、松竹座の大画面で展開されるバッタもんブルースリーアクション、そしてあの迷シーンで金髪タレパイねーちゃん&着ぐるみライオンも大暴れしてた…、って冗談みたいな本当のハナシ、…自分も観たから(失笑)
すぐ近くにカニ道楽の巨大なカニ看板があり、“コレ…生きてんのか?”と幼少の頃に真剣に感じてたコトがあった。



適当に
思い出は映画と共に…(バチョン風に)-ブルベイカー
「ブルベイカー」1980年作
監督/スチュアート・ローゼンバーグ 音楽/ラロ・シフリン
出演/ロバート・レッドフォード ヤフェット・コットー ジェーン・アレキサンダー

“悲しすぎる男たちの世界に、自由の光をそそぐため、男は来た!”

“悲しすぎる…世界”って、刑務所なんだが、悲しいのは刑期だけではなかった…ってオハナシ。
ムショ内での搾取、リンチ、管理者の汚職、証拠隠滅口封じのために殺人…、レッドフォード扮するブルベイカーが囚人になりすまし、内部実態を調査、やがて政府からの使者であるコトを明かし、新所長として内部改善に働く……正直、観てる間はシンドかった、はよ終わらんかなと思た。たしかに正しいコトしてるには違いないけど、ムショ内の暴露でなんか“ヘンなモン狙い過ぎ”って感じがせんでもなかった、改善に働く英雄モノかと思たら、今度は自治側から吊るし上げくらったり、結局はなんだかんだでムショから追放され、ヤフェット・コットー扮する黒人囚人の「アンタ立派だった」の一言で片付けられたような……感動的ではあったけど…なんか、しっくりこんかった。
単に「夜の大走査線」のラストみたいなコト、やりたかっただけなのか?…わからん…。
汚職やらワイロで染まって成り立ってるトコに、真正面から挑んでもムダなだけ…ドコも一緒やね。
ちなみにレッドフォードは同時期に「普通の人々」を監督して、アカデミー賞を受賞。
ポール・ニューマン主演の名作「暴力脱獄」等のスチュアート・ローゼンバーグ監督は、なんと79年の「悪魔の棲む家」みたいなモノも撮ったヒト。2007年に亡くなられてたらしい、謹んで御冥福を祈ります、合掌…。

1986年、毎日文化ホールにて。併映の「ナチュラル」目当てでついでに観たって感じ。
クサってた時期だったせいかもしれんが、この当時のコトはを、いまいち思い出せん……
これだけ男前で、なおかつ監督作も手堅いモンを作ってる、レッドフォードって大したオッサンだと思う。







適当に
思い出は映画と共に…(バチョン風に)-チャンス
「チャンス」1979年作
監督/ハル・アシュビー 撮影 カレブ・デシャネル
出演/ピーター・セラーズ シャーリー・マクレーン メルヴィン・ダグラス

10年に一本の傑作コメディ…チャンスを逃すな、見逃すな! ←当時のキャッチ(なんか違う…)

一歩も外へ出た事のない、テレビだけが楽しみの住み込み庭師のチャンス、主人の死により屋敷は閉鎖され、生まれて初めて町へ出る、ある事故から政界や経済界の大物と関わるコトに…ってオハナシ。

コメディとはいうものの、のほほんとした静かな感じの秀作で、ピーター・セラーズの実質上の遺作。
日本で封切られたのは1981年正月明けで、自分はまだ小6のクソガキ、この頃からラジオを聞くようになり、“サタデーバチョン”等で浜村淳さんの映画紹介をなんとなく聞いてた、そのとき浜村さんが紹介してたのがこの「チャンス」だった。浜村さんの喋りは丁寧で、小6の自分にも解り易かった、あの独特のイントネーションで“読み書きも出来ない庭師やから知ってるコトといえば草や木のコトだけ…”聞いてて興味がわく“根があれば芽を出し花を咲かすでしょう”って当たり前のコト言うただけで、政界のエラいさんが深読みして“なるほど!有り難うございます!”って勘違いするとか(浜村さん的に脚色もしてる)面白そうやなぁと思いつつも、当時の自分は春休み公開「のび太の宇宙開拓史」の方が楽しみだった。でも浜村さんの喋りのおかげで「チャンス」の印象は刷り込まれてた。
1982年の秋、日曜洋画劇場で「チャンス」放送、あ~浜村さんが喋ってたアレか…って思いながら観た、浜村さんの喋りで聞いてたモノとはだいぶイメージも違ったが、いい映画だと思った。クルーゾー警部のときとは違った、ピーター・セラーズの落ち着いた静かな雰囲気も新鮮だった。
後の1985年くらいにビデオレンタル普及、「チャンス」もリリースされたんで観たら、地味ながらものほほんとした良質な作品だと改めて思った。チャンスが町にでてゴロツキのガキ共にナイフで絡まれたとき、対抗してテレビのリモコンを出すのは笑た、チキチキマシンのケンケンもチラッと出てくる。
主演のピーター・セラーズは1980年7月に、ハル・アシュビー監督は、1988年12月に亡くなられました、今更ながら感謝を込めて、心より御冥福を祈ります、合掌…。


“ありがとう浜村淳です”は今も続いてる、すごいなぁ。上京後、大阪に帰省したときラジオで浜村さんの声を聞くと、大阪に帰ってきた…って実感があった。カスみたいな映画でも、無理やり関西風に脚色して面白く喋る話術にはお世話になりました、観てないのにオチまでばらされたコトもあった…。


パンフは古本屋にて購入、表紙(ポスター)の空中を歩くイラストが素晴らしい。
ちなみに原題は“BEING THERE”、って“そこに居るだけ”……ってコトか、何か深いなぁ…。
パンフには淀川先生が原稿を書かれてて“アメリカがもういっぺん優しい気持ちに…”って内容だった。そういえば、89年の「フィールドオブ…」の時も似たようなコト言われたっけ、アメリカだけでなく世界全体が優しい気持ちになるのは、いつなんでしょうか……もう何やっても、手遅れの時代になってしまったような気がする…もう、どーでもいーけど…。