「日下武史さんがスペインで亡くなった」と友人からメールが入った。まさかと目を疑った。劇団四季創立者のお一人で、私にとってはいつも演技の模範であり、勉強させて頂いた先生である。いかなる芝居に於いても、日下さんの演技は飛び抜けて輝いていた。私は上智大学の演劇研究会で演劇をかじり、頭でっかちな青二才そのままで劇団に入団した。その当時、劇団四季はあまり有名ではなかったが、演出家浅利慶太さんを中心に創立メンバーが生き生きとして劇団を引っ張っていらっしゃる姿は、今でも脳裏に焼き付いている。今は天国に召された、藤野節子さん、影万里江、中町由子さん、水島弘さん、立岡晃さん、松宮五郎さん(劇団創立間もなく入団)。錚々たるメンバーがジャン・ジロドー、ジャン・アヌイ等の作品を中心にして、朗々とかつ繊細に美しい日本語を奏でながら、当時の社会主義リアリズムやアングラに席巻された演劇界に、「真のオーソドックスな演劇は何たるか?」を舞台で証明されていた。そして今般、俳優で最後のお一人であった日下武史さんが亡くなられた。

私はジャン・ジロドーの作品が、シェイクスピアやギリシャ悲劇よりもはるかに難解なものと受け止めている。中でも「エレクトル」は晦渋極まりない。中途半端な文学性では、あのレトリックや与太は理解できない。そのレトリックを

爽やかに、軽々と、滑らかにお客様の耳に響かせてくれた俳優は、日下武史さんをおいて他にはいない。名台詞を飄々として、かつ洒脱に、そして高尚に、舞台上で語られる日下さんの姿を、私たちはもう二度と拝見出来なくなった。知的な言葉の解釈、変幻自在で意表を突く表現(ニュアンス)、流れるように心地よいモノローグの響き、職人芸のように細かく分析して言葉を編む術は、今の俳優たちがもっともっと日下さんから学ばなければならなかった。私は本当に貴重な至宝がなくなってしまったことに呆然としている。

また当時の創立メンバーの皆さんが舞台にかけた情熱と祈り、演劇への志を、今あらためて偉大なものであったと感じ入っている。

創立メンバーの皆さんがお元気で溌溂としておられた当時は、私の青春時代でもあった。私は素晴らしい先輩たちに出会えたことを誇りに思っています。

日下武史師匠、どうぞ安らかにお休みください。 合掌     岡本隆生